徳武道人

AC長野パルセイロサポーター 横浜DeNAベイスターズファン 哲学する変態ゴルファー …

徳武道人

AC長野パルセイロサポーター 横浜DeNAベイスターズファン 哲学する変態ゴルファー 世界を観察する吟遊詩人 好き スポーツ、70~90年代のカルチャー、雑学 嫌い 嘘っぽい表現 特に影響を受けた人物 松本零士、明石家さんま、谷村新司、松田優作 村上龍、佐野元春

最近の記事

サッカーが繋ぐ物語~大宮アルディージャ戦完結編~

スポーツの世界では 様々な感情が入り乱れる。 熱狂、興奮、歓喜、失望、失意、落胆、憤慨、憤怒、等々。 そこに 歴史や時代、土地や文化の背景が折り重なり それぞれの場所や人に、数多の物語が生まれる。 そんなスポーツの舞台において 「伝説」と呼ばれ、歴史に刻まれるような試合が誕生することがある。 サッカーでも そんな試合がいくつか存在する。 私が目撃し、体感したものは そういうものだったのかもしれない。 J3リーグ第25節 AC長野パルセイロVS大宮アルディージャ 雷雨で中止

    • サッカーが繋ぐ物語~8・24後日談と8・31観戦記~

      前回の記事に大きな反響をいただきました。 お読みいただいた皆さん、大変ありがとうございました。 今回は、その後に起きたこと感じたことを後日談とし アウェイ相模原戦の観戦記と合わせて書いてみました。 前回よりも長い文章となっていますが 最後まで読んでいただけたら嬉しいです。 私がnoteの記事を公開したのが8月27日。 その日の夕方、ドメサカもこの話題を取り上げ 多くのJサポが知るところとなった。 8月24日の出来事はJリーグ界隈でそこそこ大きなトピックとなっていた。 そ

      • サッカーが繋ぐ物語~8・24備忘録~

        2024年8月24日 この日が あんなに特別な一日になるなんて 朝目覚めた時には想像もしなかった。 J3リーグ第25節 AC長野パルセイロ対大宮アルディージャ 24節を終えて、我がAC長野パルセイロは14位と低迷。 一時は4位まで順位を上げるも、高い得点力を上回る失点の多さが響き不安定な戦いを繰り返していた。 一方、大宮アルディージャは開幕から首位を独走していた。 J1経験も豊富で長野から見ればビッグクラブと言ってもいい存在だ。 6月に行われたアウェイ大宮戦は1対4で完敗

        • 私を虜にするもの

          私とパルセイロとの関わりは十数年にわたり 始まりはエルザ時代に遡る。 こう書くと まるでコアな古参サポーターのようだが そういうわけではない。 北信でサッカーに関わっていたからとか 関係者に知り合いがいるからとか 友達がエルザでプレーしていたからとか そんな理由で注目していたに過ぎない。 たまに観戦に行く程度のライトな観客。 地域リーグやJFL時代はそんな感じだった。 J3が新設され新しいスタジアムが完成した頃には 観戦頻度も増えグッズを買い込んだりもした。 それでもサポ

        サッカーが繋ぐ物語~大宮アルディージャ戦完結編~

          ゴジラ感想文

          ※ネタバレ注意 ゴジラ70周年を記念して 東宝が新作を作るというリリースを知った時は胸が踊った。 監督が山崎貴だと知った時、不安に襲われた。 というのも 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の一件があったからだ。 宇宙戦艦ヤマトのファンとして 山崎貴によって実写化されたヤマトは 悪口だけで記事が一本書けるくらい 「許せない」という感情になるほどの作品だった。 私の不安は杞憂に終わった。 「ゴジラ-1・0」は、純粋に名作であった。 私は山崎貴を許した。 終戦間もな

          ゴジラ感想文

          私にとってシュタルフ長野とはなんであったか

          私がパルセイロサポーターとなったのは、一年と少し前のこと。 それまでの10数年はパルセイロファンとしてスタジアムにも頻繁に通ってはいたが、サポーターと自称出来るほどのものではなかったと思っている。 言うならば「オレンジを纏った観客」 ライト層とサポーターの中間のような存在として応援して来た。 それが今のように熱を帯びてスタジアムに通い、サポーターを自称することを厭わなくなったきっかけは シュタルフ悠紀という若き指導者の監督就任であった。 YS横浜時代に見せていたサッカーのスタ

          私にとってシュタルフ長野とはなんであったか