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月一読書感想文 12月 『ハンチバック』

『ハンチバック』市川沙央 2023年 文藝春秋 第169回芥川賞受賞作品

ハンチバック=せむしの怪物
主人公は難病のミオチュブラー・ミオパチーを患い、両親から残された莫大な遺産とグループホームで医療的処置と介護を受けながらでないと命を保つ事のできない重度障害者の女性。

生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく。

ハンチバックより


彼女はネットに性的な記事や小説を納品し、グループホーム外の世間と繋がりを持ち続けている。日々壊れていく体に諦めるのは簡単だが、諦めた先に何が待ち受けているのかを知っている。
だからもし自分がこの体ではなかったらやりたかった事を、今の自分が出来る形で叶えようとする。
その方法は多分他の人から見たら、眉を顰められるようなやり方なのだが。どんな過激な発想とやり方でも、自分の『生』を使えるだけ使ってみようとする主人公は清々しい程の力強さだ。


『私なら耐えられない。私なら死を選ぶ』と世間の人は言うけれど、それはそういう場所に立っていない人たちの貧弱な発想だと主人公は言う。
寝たきりになり、全てを人に頼らなければならなくなったとしても、それでも生きる事、そこに人間の尊厳があると。

生きる事は自分を曝け出すこと。
当たり前の様に生きている健常者とは違い、生に対して貪欲にならないと生きていけない。生きる事とは、必死で滑稽で決して綺麗事だけじゃない。
それは死の存在が見えている人だからこそ、理解しているのかもしれない。
『人生は有限だから』同じ言葉でも、実感とあくまでも想像から出る言葉は全く違う。

厚みが3、4センチある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為より背骨に負担をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページが捲れること、読書視線が保てること、5つの健常性を要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。

ハンチバックより


紙の匂いや、ページをめくる感触が読書の醍醐味。電子書籍なんてと否定する文化的な香りを匂わせたがる健常者は呑気で良い。そう評しているが、本当は愚鈍だと言いたいのかもしれない。

1人で動けて食べられて眠れて呼吸も出来て、好きな所にどこへも行ける。生きることが当たり前すぎて、自分に与えられた物も見ていなく、日々ぼんやり生きているからみんな様々な事に対して鈍感なのだ。そう言い放たれた気がした。

曲がった体と引き攣る呼吸、押し潰されていく内臓。それらが自分の立っている道のさほど遠くない先に死がいると示してくる状況。
しかし親が残してくれた莫大な遺産と自分名義のグループホームのため、ブラックカードを所持し金銭的な苦労はない。ネットで稼いだお金も全て寄付に回している主人公。
体の不自由はないが、恵まれない外見とフリーターなのか厳しい金銭状況で自分を「弱者」だと言うヘルパーの田中。
一般的にはその身体状況で弱者と認定される主人公だが、金銭的な面ではとびきりの強者だ。この差がまた作品の面白さの1つだった。

結局は、器が違えば違う存在なのだから、本当に相手を理解する事は不可能なのだと思った。
だからと言って、初めから理解する事を放棄して言い訳でもないし、ましてや愚鈍と言われるような人間にはなりたくはない。
でも、男女とか健常者、障害者とか、そんな違いじゃなくても、各々別の魂が別の器に入っているのだから、結果全く違う生き物同士のわたしたちは、夫婦でも親子でも友人でも分かったつもりで本当は分かっていない。分かりようがない。
自分は自分を生きて行くしかない。
改めてそう突きつけられた気がした。



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