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『スモールワールズ』月1読書感想文 5月

『スモールワールズ』 一穂ミチ 2021年講談社

ままならない現実を抱えて生きる人たちの6つの物語からなる短編集。

その中から『魔王の帰還』について書きたい。
他の作品、全て良いのだが、ちょっとした毒や棘、晴天の中にふと雨雲が不吉な翳りを連れて来る様な感覚を覚える中で、この物語は「進め、進め!」と最後まで前を向かせてくれる。
ラスト数行で心を掴まれる読者も多いと思う。(わたしが完全にそうだった)

タイトルの『魔王』実は女性。
その名は真央。27歳、身長188センチ、靴のサイズ28センチ。体重は不明だが、モデルのスカウトはされた事はなくても、総合格闘技からのスカウト経験ありと言う堂々たる体躯の持ち主だ。ちなみに職業はトラックドライバー。そして一人称は「わし」

そんな規格外の姉が「離婚する」と出戻って来たことから、主人公である弟の鉄二の退屈で平穏な毎日がジェットコースター並みに加速し出す。
鉄二自身、身長183センチ、日焼けして真っ黒な顔にピアス&短い金髪という、なかなか気合の入った外見で、同級生及び教師たちから怯えられている。
そして鉄二も訳あって、ここにいる。

この物語の中で、それぞれに共通して登場するのが『気持ちの勝ち負け』である。

「ボコられても野球やりたい、この学校で甲子園でたいってどうしても思うんなら、こっちは『そうですか』って言うしかねえじゃん」
「気持ちで負けちゃったんだね」
「うん」

魔王の帰還 より

元々、高校野球の強豪校に所属していた鉄二だが、上級生からの理不尽な暴力の的となっているチームメイトの友人を助けようとした大太刀周りが、暴力事件と知れ渡りチームは決まり掛かってた春の選抜を辞退。
鉄二も退部・転校を余儀なくされた。
さらに助けられた友人には感謝するどころか「余計な事をした」となじられる。

その友人は骨が折れる程まで殴られても、野球にしがみつき甲子園に行きたい、と言う気持ちの方が強かったのだ。


「お母さんは、新しいお父さんとうまくやっていきたくて、そのためなら嘘ついて娘をディスっても良いって思った。良い悪いじゃなくて、その気持ちの強さに住谷さんは勝ててないんだと思う。(中略)だから力吸い取られてやる気出なくなる。気持ちって物理なんだと思う。

魔王の帰還 より


ひょんな事から姉弟と仲良くなる鉄二のクラスメイトの住谷菜々子。
彼女はベッドの中に潜り込んできた義父を撃退し逃げ出すが、娘より新たな夫を選んだ母は、娘が夫を誘惑したと周りに吹聴して歩く。己の居場所を確保しようとしたのだ。
菜々子は家を出て祖母の元へと身を寄せる。


両方とも「なんで⁉︎」と叫びたくなる内容だが、執着とも言える強すぎる気持ちは、時に事実を踏みつけて新たな事実を作ってしまう時がある。


そして魔王が気持ちで負けたのが、夫・勇との離婚である。
色白小柄でひょろっとした、魔王のくしゃみひとつで飛んでいってしまいそうな風貌の夫。でも名前は勇。鉄二は姉の魔王にひっかけ勇者とこっそり呼ぶ。

進行性の難病に罹り、急激に体の自由が奪われ最後は必ず死に至る。
勇はそんな自分から大切な真央を解放しようと、離婚を望む。
いつ終わるかも分からない大変な介護生活のために、真央が側にいるのを良しとしなかったのだ。

何枚も何枚も夫の欄に署名がされた離婚届をさよならを送られ続け、真央は気持ちで負け混乱し途方に暮れて実家に帰って来ていたのだ。

「勇、よお聞け、すぐそっちに戻るけえのう、お前が何と言おうがわしゃもう死ぬまで逃さんぞ、腹括って首洗うて待っとれ!」

魔王の帰還 より


実家に戻り、鉄二や菜々子と日常を過ごす中で、真央は悩み考え決断する。
勇の強い気持ちをさらに超えるもっと強い気持ちで。


大丈夫だよ姉ちゃん、と今度は鉄二が思う。奇跡は起こらない。起こらないから傍にいてやれ。最後には負けが決まっているシナリオでも、立ちはだかるから魔王なんだろ。
勇者のもとへ、音を立てて帰れ、魔王。

魔王の帰還 より



そう、奇跡は起こらない。大抵は。
それでも完全に負け試合だと知っていても、強い気持ちで見れば同じ景色もまた違って見えるはず。

進め、進め。
己の信じた道を、己が選んだ道を。


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