被害妄想の中で孤独な主役を演じておりても、誰も喜んで観てはくれんぞ。|神人著・大日月地神示【後巻】七十一・pp.336-337 *一部抜粋 野草社出版

神人著   大日月地神示【後巻】七十一   pp.336-337を一部抜粋


 人を求めなされ。独(ひと)りで良いと申すは、思い込(こ)みにしがみついておるのじゃぞ。独(ひと)りは寂(さび)しいだけであるから、独(ひと)りに慣(な)れようとせんで良いぞ。

 他(た)、悪(わる)く申して、ねたみひがみ憂(うれ)うでないぞ。皆々、己(おのれ)の取り違(ちが)いから始まっておるではないか。被害妄想(ひがいもうそう)の中で孤独(こどく)な主役を演(えん)じておりても、誰(だれ)も喜んで観(み)てはくれんぞ。観(み)て喜ぶは、魔の者たちだけであるぞ。魔の者ら喜ばす生き方、真(まこと)の生き方ではないから、早(はよ)う真(まこと)の喜びに生きて下されよ。まずは求めよ。私は寂(さび)しいと声に出してみなされ。友が欲(ほ)しい、愛し合えるお人が欲しいと心の声を出してみなされ。必ず縁(えん)ある人に届(とど)けられますぞ。


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