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親の前では自然と子どもになる

潜在意識のことや思考のしくみを、YouTubeや本を読んで学んでいる。


だいたいの問題や悩みって結局のところ、行きつく先は両親。


愛の勘違いが、いまのわたしの人生を複雑に創ってるようだ。


本やYouTubeを見てワークする。


自分の記憶だけを元に、愛されていたと感じることはできるのだが、強烈にハートが揺さぶられるのは直接聞くことだという。


母は仕事が忙しくて、わたしはいつも寂しい思いをしていた。


そのうち、怒られることばかりをして母に怒られる。怒られると、お母さんはやっぱりわたしのこと愛してないのね!そしてわたしのことちっとも見てくれない、と余計に拗ねていく。


自分が親になってはじめて親の気持ちや、ちゃんと愛があったってことはわかるのだが、子どものわたしはずーっと拗ねたまんま。


あまりにも忙しくてほとんど話せなかったお母さんは、わたしのことちゃんと見ててくれたのだろうか?


ふとそんな疑問がわいた。


恥ずかしいし照れくさいが、いまさらながら母にLINEで聞いてみたのだ。


"わたしの良いところってどこ?"と。


いきなりこんな質問したりしたら、母は"いきなりどうしたの?"と聞いてくるはずだが、"ただ聞いてみたくて"といってもきっと考えて答えてくれるはずだ。


ところが母は急になに?と疑問に思ったであろうが、たくさん教えてくれたのである。


え、こんなに!?と思うほど。「まだまだあるはずだけど、いま母が感じたこと」と添えられていた。


素直にうれしかった。愛の勘違い野郎の拗ねっこチビnontaroちゃんも、よろこんでいるのがわかる。


ちゃんと見ててくれてたんだ。愛してくれてたんだ。


父のときも思ったが、


わたしはいくつになっても、両親の前では子どもなんだな〜と。


でもこれって、恥ずかしいことでもなんでもないのだと思う。


口うるさくいわれれば、"うるさいな〜いくつだと思ってんの!?"と思ってしまうのは、親の前では子どもになれるからだろう。


いくつになっても、自立したとしても、親の存在に甘えてしまうのは、子どもの本能なのかもしれないね。


今回、直接の聞くのは恥ずかしくてLINEで聞いたが、次は直接聞いてみたいなと思ったできごとだ。

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