うまく言葉にできなくてもいい
自分の想いを言葉にしたい、上手に伝えられないものだろうかといつも考えていた。
文章を書く上で、確かに言葉ってのは大事だ。読みやすく、読んでいてためになる記事、人に不快を与えない記事、元気になる記事、勇気をもらえる記事、おもしろくて笑える記事は人によろこばれる。
でも、いまの段階でわたしがしたいことは、とにかく自分の気持ちと向き合い、それを文章として残したいってことだと気づいた。
ただ自分のために。だから、うまく書こうとか上手に伝えたいなんて考える必要がなかった。
ただ感じるまんま、思いつくまんま。
自分と向き合っていくと、自分がなかなかネガティブな人間だってことが見えてくる。
本当はポジティブでいたいし、周りを笑顔にできて、勇気を与えられるような言葉を伝えたいと思ってしまうのだが、まずわたしはネガティブだってことを受け入れなければ、ずっとここをグルグルしつづけることになる。
どんなに自分を表現するのが下手だったとしても、どんなに言葉を選ぶのが下手だったとしても、どんなにめちゃくちゃな文章だったとしても、いま感じていることをそのまま書くことが、わたしの魂が求めてることのような気がしたのだ。
生きるのがつらいと思ったら、そのまんま、生きるのがつらいって書こう。美味しいものを食べて幸せだと感じたら、そのまんまそれを書けばいい。
花だって、キレイに咲こう、見てもらうために咲こう、感動を与えるために咲こう、好きになってもらうために咲こう、と思って咲くわけじゃない。
そこに命があるから、生命のまま、ただ咲いているのだ。
だからわたしはうまい下手ではなく、ただ感じるまんま、ただ感じたことを、ただ感じたように思いつくまんま好きに書く。
noteをわたしのそういう場所にしたい。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?