そのへんの介護人

そのへんの介護人

最近の記事

お釈迦様の弟子

母が、旅立ちました。 今頃は、病んだ肉体から解放されて のびのびしているといいな。 あうんの狭間。 生死の境目は、そんなところにあるものらしい。 入院中、まだケータイで話せていた頃、私が電話すると、いつものクセで「元気だよ」て言って。 元気、て言うのも変か、と笑っていた。 普段からあまり愚痴も言わず、笑顔の人でした。 家族って感情渦巻で、母がバランスをとっていた分、渦にのまれそうな人もいるけれど。 それはそれとして、こちら側の課題ってことなんでしょう。 母はお役目終えて

    • ナキムシ

      母に会えた。もう、ほとんど動けないし、しゃべれなかった。 病院スタッフの声にはあまり反応しないそうだけれど。 家族が声をかけると、しっかり目を開けて、しっかりうなずいた。 胸の上で手を組んで寝るクセも、 眠ってても、「お母さん」て呼ぶと、反応するところも、 私が小さい頃から、変わってないね。 近づくと、呼吸を、感じた。 触れると、あたたかかった。 その病んだ肉体から解放されてほしいし、 呼吸とあたたかさを、とんでもなく愛おしく感じる。 両立しない。 どうしようもない。

      • 中庸

        YouTubeをよくみる私。 「知りたい」ときは、その知りたい何かについて、ポジティブな動画とネガティブな動画、両方みる。 そこに付くコメントもみる。 内容の傾向が、極端に分かれてることが多い。 もし片方しかみていなかったら、世の中の大多数はそっちの考えなのね、と思ってしまいそう。検索すると、オススメ、とかで似たような内容が並ぶので余計に。 世界のどこかで起きたことの、何が正しくて何が実際かなんてことは、偏りなくみようと心掛けたとしても、これがけっこうむずかしい。 事の起こり

        • 呪文

          停滞してる感があると、事を動かしたくなって、引越とか転職とか、ホイホイと身軽にしてきた。 自分でそうして動く一方で、自分の人生、なんでこう安定しないのか、と思う私もいて。 いや、自分のせいだろ。自作自演。ということを。今更、ボディブローのような衝撃とともに受け止めてる。 わかっていたことでしょうに、今はこの衝撃が絶妙に重たくて、毎日泣いてストレスを逃してる。 あんなに、今度こそは続けるのだ、と思っていたのに、辞めるとは言わんまでも、今の働き方は、心折れそう。向いていない、とい

          沈黙はキン

          意思疎通はもうできない、と医者に言われていた母は。 自分の意思で沈黙していることがわかった。 ただただ黙って。この情報の渦の中にいて。目前の死と向かい合わせでいる。 その心情を想像しようとしても、わたしの想像力では到達できない。 願うのは。穏やかなときがあればいいな。ということ。 自分が身を置いている日常と、ちぐはぐが過ぎる。 身ひとつにコレを同居させとくの、人によっては病気になるよな。だから、わたしは外に出してバランスとってる。 雄弁はギン。

          ループ

          仕事をする中で、わたしはよく、トラブルあっても動じないよね、と言われるのだけど、動じていないわけではない。 困難て、困難と思うから困難になるんだと思う。目の前に次々現れる出来事に対し、とりあえず行動する。 あとから振り返ってみて、大変だったなーと思うことはあるけれど、絶賛対応中のときって、出来事に色付けしてるヒマがない、てゆー意味では大いに動じているのだと自分では思う。 自分自身のことでいうと、なんでそんなにツライことを黙っていたの、と言われることがある。 それは単純な理由

          裏の人はうるさい

          ○○さんって、○○だよね、と自分のことを言われたときに、私は、自分をそう見せているんだな、と思う。 シンプルに考えたら、自分でそう見せた結果の相手の反応。相手の反応を変えたいなら自分の見せ方を変えればいい。 イイ人と思われたいならイイことをすればいいし、きらわれたいならきらわれることをすればいい。 ウラオモテないよね、と時々言われるし最近も言われ。 言われると思うのは、ウラが相手に透けてる時点でそれはオモテじゃないの?と。屁理屈かなぁ。 ウラオモテないように見せているのは、

          裏の人はうるさい

          公正中立

          要介護認定って、1分間タイムスタディデータっていうデータをもとに、1日あたり介護を要する基準時間ってのをざっくり出して、判定に使っているのだけれど。 日本の文化圏にいる我々が最低限の生活をするのに必要な援助、ていう意味では、これって案外正しかったりする。 だから施設介護はわりとシステマちっくに、これベースに組立てたら援助量は過不足ない。例外はあれど、基本はAIプランで事足りるんでないかなー。 在宅介護では、必要な援助の中で、サービスでまかなうものと家族等でまかなうものがあり

          散髪前

          紙に埋もれてる。前にケアマネしてたときも、紙がキライだった。そのキライがどっかにいってまたケアマネになって、またまた紙問題。 解決をみるまで個人の課題はくり返すもの。そういえばそうだった。 私は高齢者介護の民なので事情がまた偏ってるかもしれない。 契約だからとか権利擁護とか、そんな側面はあるんだろうけど。あれやこれや複雑にツギハギ。ホントに理解してもらいたい内容ってそんなに多くはないと思うのに、それを公正中立とかいって、懇切丁寧に説明して、説明きいたよって意味のサインをもら

          因果

          自分が見ている先の事、を踏まえた進みたい方向と。組織の目指すところ。 これが不協和音で不快になること多々。 それに加え。会社でも個人でも。関係の継続を強いられると、継続を断つ方法を考える。 勤めないと生活できないから転々と勤めはするけれど。結婚しなくても生活できるから結婚しない。 こう考えると、まったく自分が思ったとおりに生きていて、あたりまえの因果応報。 その輪をぐるんぐるん回ってるのだから、滑稽だわな。はて。回ってる私をみている私とは誰? って、大昔の哲学者は考えたんだ

          カタチは崩れるし、また作る。

          マスクが顔の一部みたいになると、マスクをとった顔で認識できなくなるんだよな。 ここ数年で出会った人達の、顔の半分をよく知らないで過ごしている。職場で長時間いっしょにいる人でも、昼ご飯時のマスクを外した顔は、まったく見慣れない顔だったりする。 運動不足になったとか、生活習慣病が増えたとか、子供の体力が低下したとか、そういうのは、結果が予想できたことで、対策は運動しろってことなんだろうけど。 顔を半分隠して生きるのって、年単位でみていったらどんな影響があるんだろうか。表情ってとこ

          カタチは崩れるし、また作る。

          でくのぼーとアンドロイドは欲求を超えた存在という作り話です

          SF小説の、アンドロイドの話で。 人間の役に立つようプログラムされていて「ワタシはアナタのお役に立てていますか?」と何度も何度もきいてくる。そんな話があった。 小説はいろいろ読んだから、記憶がごっちゃになってるかもしれないけれども。そんな話。 小説の世界観でみたらば、素直に、人との境目ってなんだろね、と思った記憶がある。 むしろ自分の方がアンドロイドより性質が悪く、仕事してると特に、承認欲求の沼にハマりがち。 もとの動機は、違ったはずなのにね。 いわゆる手段が目的になっちゃ

          でくのぼーとアンドロイドは欲求を超えた存在という作り話です

          大丈夫だよ

          祖母を担当しているケアマネに、うちの事情を話し、協力を仰いだ。 話を聞いてくれた上で「大丈夫」と言われた。 なんだかとても、あんしんした。 大丈夫、のひと言で。 私って単純。 不安メーターでもあれば、わかろうものを、わからないから、ときに対策部隊の出動が遅れ、こじらすのよなぁ。 のみこまれない為には、自分に注意深くあること。 物凄い騒音の中に生きていて、それでいて、注意深くあること。よくみて、よくきく。感情も、しずかに見つめられたら、無害なのにね。 困難だわ。 同じケアマネ

          鈍い弟子には お師匠様は自分のウチにピンポンしてやってくるのかもしれない

          知能検査を受けた。 凹凸を客観的に暴露して、生きやすいように環境調整したいから。 心理系の学校出身なのもあって自分はもうある程度わかってる。なので自分にとっては環境調整する上での参考資料。あとは、対外的に自分を説明するのに楽だしわかり易かろう、てとこでしょうか。 そんな感じの理由はいちおうあるけれども。何にせよ、受けたい!て思ったら、受けないと気が済まないの。そういうこと。 以前、職場で、超絶仕事のデキル人がいた。仕事は完璧なのに、プライベートは破綻してる人で、ギャップが凄

          鈍い弟子には お師匠様は自分のウチにピンポンしてやってくるのかもしれない

          元暴走族の安全運転

          兄の言葉の優しさにハッとした。 私は、人に何かを伝えるとき、自分の中で、あーでもないこーでもないと自分内会議をした結果、外に出すのは、結論やストレートに伝えたい内容だけのことが多い。聞かれない限りは必要以上に説明を加えない。 それは大体に置いて反論の余地が無いらしく、相手は頷くしかない。 対して兄は、相手の気持ちを想像して、そこに寄り添う枕言葉を入れてから、伝えたいことを述べる。 伝える内容は同じでも、受け取る側の印象は違うよなー。 私は、他人の気持ちを想像して、気に

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          からまってからまわる

          兄妹。 父子。 周辺の親族。 父母の友人。 たくさん話した気もするし、まったく無口だった気もする。 リスクのある手術を、強く希望した母。 その決断に至った途中にある思いや考えは、想像するしかないのだけれど。 それを母自身から聞けたなら、父は楽だったかもしれない。 私が育った過程で、親の思い、子の思い、どう感じているかを言語表現するということは。あまりなかったように思う。 「雰囲気で察する」が、ベースであって。 相手がどう思っているのか、どう感じているかは、いつも勘。間違っ

          からまってからまわる