背中を押される。いや、押すなよ。

最近思うですけど何か相談された時って背中を押す方が簡単じゃ無いですか?
そっちの方が角も立たないし、その人が成功した時感謝もされる。

そもそも論、人に相談して来る人達は半分くらいは背中押してもらう前提で話して来るから話しかけられた時点でアンサーって決まってるよね。

止めたらちょっとキレられるまであるし

50:50で正解でさ、外れても角が立たず挙句感謝される可能性があるなら誰だって背中押すと思うんです。

だからアレは完全に正解が決まってると思ってるんですけどね?

あともう一つあるとするなら人間って勝手に背中押されるじゃん?
ほんとコレよく意味が分からないんだけど目の前で一生懸命頑張ってる人や、とてつもなく輝いてる人を見るとなんか自分のやろうとしている事も上手くいく気がするしなんか踏み出して見たくなる。

いやこれ、背中押されてるんじゃなくて吸い寄せられてんのかも知れない。

まぁ、そんな風に思って一歩踏み出して見ても世の中には自分の上位互換で溢れかえってる訳で。
そこに気づいてからが人生本番みたいなとこあるけど。

どんなに頑張っても「なりたい」と「なれる」は違うと言うか。

「こうなりたい」から「これならなれそう」みたいな感じに変わって行く。

妥協の産物。

ただ「なれそう」の中に「なりたい」が無い。

でも「なりたい」に向かって行ってる人って輝いて見えるんだよなぁ。

ほんとにそんな輝くなよ。
向かって行っちゃうだろ。ほら僕ってさ、虫ケラなんだから。

だから夢だった漫才もう一度始めてみようと思います。

長々と書いてみたけどオチも何も思いつかないしめっちゃグッダグダで終わりそうだけどnote書くネタも無いしコレはこのままで終わりますわ。

                   終わり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?