見出し画像

唐組・第73回公演 泥人魚 2024.6.2(日)新宿花園神社 メルヘンと生の泥との間に

唐十郎が亡くなって一か月になる。
高校時代の青春は芝居で、2年生の時に拙くもオリジナルの作・演出をした作品の原動力になったのは1985年の状況劇場・新宿花園神社赤テント公演『ジャガーの眼』。

大学生になり、社会人になり、赤テントどころか芝居もまったく見なくなり、はや30年。
それでも、NHKで録画し、もはやダビングを繰り返した裏ビデオのように劣化してしまった『ジャガーの眼 ’85』を引っ張り出しては、その破天荒な熱情と歌とコトバに自分を取り戻す。そんなことを繰り返してきた。

だから、唐さんが亡くなったというのは、やはりショックなことで、居ても立ってもいられず花園神社に向かった、という次第。

唐組・第73回公演 泥人魚 2024.6.2(日)新宿花園神社

驚いたのは、まったく30年前と変わらぬ風景がそこにあったこと。
いや、もうちょっとスエたような臭いがあったような気もするが、令和の世だもの、それは当たり前。
 
たそがれどきの空気が漂うなか、入場前の整列が始まって、わくわくが盛り上がってくる。ああ、これだったなあ。と感覚がよみがえる。
で、並んでるのは年寄りばかりじゃないかと思っていたのだけれども、若い人が結構多い!
 
自分も30年まえには、若い子が来てるな、なんて常連さんに思われていたのだろうかなどと空想する自分もすっかりジジイだ。
いずれにしても赤テントは変わらず元気で、なんだかそれだけでうれしくなってしまいました。

『泥人魚』は2003年の作品で、初見。
寿司づめの桟敷で開演を待っている間どこか引いた目で見ている自分もあったのだけれど、心配ご無用、気が付けばすっかり持っていかれて爆笑しておりました。

さて『泥人魚』。

歩いてる ヒトか魚か分からない女が…

物語の舞台は今でも鮮明に記憶に残る諫早湾干拓事業
干拓を進めるために次々と打ち込まれる「ギロチン」が海だけでなくヒトをも容赦なく分断する。

1997年諫早湾潮受け堤防の水門閉鎖、写真は湾を仕切るために落とされた通称「ギロチン」

諫早湾のヒトたちがそこで翻弄され、生きていくために矛盾の泥にまみれ穢れながら流されていくことと、それでもその中にファンタジーとして何か一条の光に救いを求めねば生きていけない。
相容れないその間に立ち上がる、それぞれがそれぞれに持つ情念の際立ちとその相互作用による化学変化が唐十郎の本領だとおもう。

桜貝のかけらをうろこに見立て、その身につけることで人魚であること、ファンタジー=メルヘンの根拠とする娘・やすみ。

第一場の幕前。
やすみが桜貝を洗い流そうとする、その肉体をあらわにさらけ出すシーンの迫力は、そういったことが理屈や言論ではなく、肉体でこそ語れるのだ、伝わるのだ、と強く主張している。

ああ、肉体なのだとおもう。
ギロチンに見立てたトタン板のだわんだわんとたわむ音、地面に突き立てる振動、舞台で波打つ巨大な水槽、そこに引きずりこまれ本能的な苦しさに歪む肉体。
役者の演技も発声もその延長線上にあって、それゆえに真実、それゆえに伝わる。
かつて見た唐十郎の芝居は確かにそこにある。

そして桜貝のかけら=うろこ(人魚)=メルヘンが剥がされることで、やすみのヒトとしての生の泥が明らかにされ、終幕に突入していく。

物語が分かりやすく終結するわけではない。けれど、舞台崩しで広がった景色のなかに浮かび上がる二人の姿は、明らかに希望だ。
強い、つよい、説得力をもった希望だ。

このカタルシス。ああ、これだよなあ。。。

そとは雨、でも、いやそういう時だからこそ自分の感覚が生きていることを実感する。
赤テントはいい。

2024年5月4日 唐十郎 没 享年84歳(写真は85年『ジャガーの眼』田口)

やすみを演じる美仁音さんは、間も表情も唐さんそっくりで、少しうるっとしてしまいました。時代はつながっていきますね。
唐さん、安らかにお休みください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?