人が人を好きでなけりゃあ、そりゃあ不幸だよね

ってのがジャンルを超えた自分の好き嫌いの基準なんだと、やっと気付けた。

これが不幸だと重い!暗い!怖い!陰湿だあ!と感じて、手を掛けたドアを閉めてしまうらしい。

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例えば

僕にとってゲーセンは友達の居る場所だったから、格闘ゲームのキャラクターたちもどこか同じ様に友達だと思っていた。

シリーズ物なら友達の人生の事みたいに感じてしまっていたから、妙な完全主義が発生してた。

僕はお節介だし、頼まれもしないのに他人の悩みに首を突っ込むトコがある。

大きなお世話で要らん心配と思われても触りに行ってしまうトコがある。

そこから逆に縁が切れたりとかもあるんだけど、悪い癖だなあーと思っていたんだけどね。

だからキャラクターの人生もちゃんと見なきゃ!みたいなアホな感性がある。

これが格闘ゲームの沼ってヤツにハマった要因のひとつでもあったなぁ。

今は大分大人になれて、線引きが少しは出来る様になった気がする。

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例えば

暴力作品は基本的に怖いと思うし、自分がされる側だとしたらと考えてしまうから嫌い。

その時の痛みや恐怖を想像してしまうから見てられなくなる。

なのに、ひとつだけ好きなものがある。

昭和の不良漫画なんかや裏社会物も大嫌いなんだけど、何か友情があったからなんだよね。

作品の表現に憎しみじゃなくて、妙な暖かみが感じられたりした。

まあ食わず嫌いで読んだり見たりしないからだろ!?と言われそう、、、
それでもバランスとらなきゃあ!と色々頑張って見た結果だから意外と間違ってないつもりでいる。

この主人公は人間を信じてるんだなぁと思えたのは、これだけだった。

やり方ってあるんだなぁと。

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好きなジャンルには人間がいる。
悲しさや救いの無さなんて大嫌い!
エンタメや娯楽なら楽しい方が決まってる!
そんな風に思ってる。

バトルシーンがあるのは創りやすい。
ただずっと言ってるけど、別に戦わなくてもいい。

とりあえず登場キャラクターたちが、あまり不幸にならないのがいいなあ。

物語上は悲しい結末のキャラクターも出てきちゃうんだけど、基本ラインは明る目にしたいんだよなあ。

人間が人間として頑張ってほしい。
あんま超人的な事は超人がやればいい。
超人が出てくる物語は最後に用意してある。

それまでは、まほろばの江戸は人間相手の戦いより、妖怪退治でいい。

妖怪には妖怪側の事情があるけど、そこでは人間が出てくる。

まほろば後半は妖怪を介して人と人の話になる。
ここに悲しみはある。

あるんだけど、勇也と美代は前を向いていく。
今回の主役たちは人間が好きなんだ。
人が好きで信じてるから巻き込まれている。
巻き込まれたくせに乗り切ろうとする。
だから物語は不幸にはならない。
そう信じている。


そんなエッセンスがちゃんと娯楽になるように、頭を悩ませている。

そんな日々。


マブ

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