見出し画像

「承認欲求」って。

自身の研究が誉められると嬉しく感じる。嬉しいと感じるということは、潜在的に自身に「承認欲求」があるのだな、と実感する。似たような欲求で「自己顕示欲」というものがある。ちょっと調べてみると、「承認欲求」は受動的、「自己顕示欲」は能動的ということらしい。字面からなんとなく想像できる。

実感として「承認欲求」がない方が楽に生きられると思う。他者からの評価を気にせず生きられる方が人生は楽しそうだ。自身も「承認欲求」から逃れられない弱い人間の1人であるが、「承認欲求」や「自己顕示欲」に縛られない人をほとんど見たことがないのも事実である。端的には、みんな誉められたいのだな、と思う。当然、貶されるよりは誉められる方がいいに決まっている。

ただ、「承認欲求」を強く持っている人を見ると、生きにくそうだな、大変だろうな、と勝手に心配してしまう。おそらく自身でも気づいていないであろうモヤモヤや嫉妬の根源は、内面から自然に湧き上がってくる「承認欲求」によるものであろう。短い人生、「承認欲求」に囚われる時間はあまり有意義ではないように思う。もちろん、「承認欲求」によって奮起して、道を切り拓くこともあるだろう。「承認欲求」との付き合い方や距離感は大事なのである。

こういったややこしいことを考えずに、自分が自分であることを誇ればいい。それだけで人生は豊かになるはずである。自分で自分を認めること「自己肯定感」を高めること。ちなみに「自己肯定感」は自分による承認で、「承認欲求」は他者からの承認、らしい。こちらも読んで字の如くだった。「承認欲求」から解放された「自己肯定感」を追及しよう。だが、「承認欲求」を満たすことで「自己肯定感」が高まるということであれば、なんだかややこしいことになりそうだ。

堂々巡りで、考えすぎだ。研究のことだけ考えていればいい。「いい研究」をしていれば、自然と人は分かってくれる。結局、また「承認欲求」に囚われて一日が終わった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?