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aikoと言えば、

 aikoと言えば、恋の歌。なんでしょうが、今のわたしが聴くと、なぜか、親心/主婦心を言い当てているように聞こえてしまう。バイアスというやつでしょうか。


 例えば、子どもが赤ん坊ないしはそれに近いときは、有名曲「カブトムシ」。

   少し背の高い~(←これは関係ない) あなたの耳に寄せたおでこ~
   あま~い~ におい~に~ さそわれたわたしは カ~ブトムシ ♪

 抱っこしたときの、小さな子どものかわいい、いいにおい、すると自分の脳内にオキシトシン(?)が、うわっ!と放出される感じ、を、まざまざと思い出します。きっと、”生涯~ わ~すれる~ ことはないでしょう~♪”。



 そして、そのころから感じ始める家族への気持ちが、有名曲「ロージー」。

   数えればきりがな~い あなたにして欲しいことが~
   こわいほど たくさ~ん ♪

 子どもが生まれるまでは、特に誰かに何かしてほしいと思ったことはあまりなかった気がする。けれど、あれもこれも同時進行で回りそうにないとき、子どもが泣いて離れられないとき、まさに、”あなたにしてほしいことが、こわいほどたくさん”。
 「ちょっと子どもを置いとけばいいやん」なんでしょうが、なかなかそれはできない。沸いている笛吹きケトルのように泣いている小さい人というものは、決して置いておけるようなものじゃないのです。
 自分の中では、とても必死だけど、なかなか人にはそれが伝わらず、がんじがらめになっていて見た目より動けないし、見た目より困っているし、それをなんとか伝えようとするとかえって面倒なことになるしで、見た目より大変でした。
 このワンフレーズを、心の中でリピートです。今は、過去形で。


 子どもが小学校に上がってからは、有名曲「キラキラ」。

   待~ってるねいつまでも~ 今~日は遅くなるんでしょう~ ♪
 
 とある少年が小学5・6年頃の、道草が長かった時期。学校は終わっている時間なのに、小学生がいっぱいうちの前をとおり過ぎて行ってから1時間経ったのに、とある少年は帰ってこない。
 遅いな~。途中でどうかなってやしないかしら、探しに行こうか。でも、とある幼稚園生もいるから動きづらいし……。と、だんだん不安になってくるころ、友達と二人、ゆっくりゆっくり、進んでは戻りしながら帰ってくるとある少年の姿が、窓から見えてくる。
 おっ、良かった、無事帰ってきた、と思ったら、うちへ曲がる田んぼの畦道との友達の帰り道との分岐点で、また、もう30分話し込んでいる。

 中学・高校生になったら、部活とその後のコンビニ前での友達との楽しい時間で、やっぱりなかなか帰ってこない。もう真っ暗よ?窓から道のほうを見ながら、 "待~ってるねいつまでも~♪" が、続いております。

 でも、近頃は、

   とおい、とおい、見たこともな~い、
     知らない まちに 行った~としても
   離れ ばなれ じゃない~んだから、あたしは~ こうして~~ ♪

かな。もう大きいんだし、心配するのもそろそろ卒業しなくては、です。



 さすが、aikoさんです。長年、ふわふわと感じていたことを端的なフレーズで、気持ちを乗せ切ったような歌声で、歌い上げてもらう度に、ああ、気持ちがしゃぼん玉のように、パチンと弾けて昇華したような、すっきり感……。

 変な聴き方してすいません。


 とある少女は、小さい頃の刷り込みで、”「もっと」訛りバージョン” で今なお歌っております。将来友達とカラオケに行くようなことがあったら、「もっと」を知らない世代に、間違った「もっと」を広めそう。
















 

    「♪ そうやって 悲しい日を こえて きた。♪」
 

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