もう一つの世界、27 イヌと少女2/7
イヌと少女、2/7
明けがた、少女がまた話し掛けてきた。
「イヌさん、室戸岬に行ったことある?」
「あるけど。」
「どうやっていくの?」
「列車か、バスか、フェリーかな?」
「イヌさん、一緒に行ってくれる?」
「おれが、何しに行くんだ?」
「イヌさんが一緒に行ってくれたら、あたしイルカになれそうな気がするの。」
少女は、イルカのことをまだ覚えていた。昨夜のおれのイヌになった話しを信じているんだ。
「本当にイルカになりたいのか?」
理由も分からず一緒に行きたくなかった。
それに、思春期の女の子なんて、すぐに気持ちが変わる。簡単に信用したら、後で後悔するにきまっている。
「ちゃんと家出した理由を話してくれたらな。」
少女は、ためらっている。
「ほんとうにちゃんと話したら、一緒に行ってくれる?」
不安そうにおれを見てる。
「最近の子はすぐキレるからな。
信用できる話で、おれが納得できたらな。」
少女はしばらく考えこんでいた。
そして、ため息を吐き出すように、
「居場所がないんだ。学校にも、家にも。」
思いつめた気持と、あきらめが混じっている。
「死にたいんじゃあないの、イルカになりたいの。」
「イルカになって、あたしの居場所を見つけに行きたいの。」
一度、口を開くと、言えなかった思いがどんどん溢れてくる。
「あたし、クラスの子にいじめられてたの。
あたしをかばうと、その子もいじめられるから、誰も助けてくれないし。先生に言っても、まわりの空気が読めなくて、協調性が無いから、あたしが悪いって。そのあと先生が言ったの、あたしはみんなと何か違うって、発達障害かも知れないって。」
少女は、地面の一点をみつめながら淡々と話している。なんとか自分の気持ちを抑えながら、辛い自分と向き合っている。
「あたし、そのとき、死んだ。
それで、学校に行けなくなった。」
なにげない一言が、一人の少女を殺した。
おれにも似たような経験があった。
おれは、黙って聞いていた。何か言えばおれが悲しくなってくる。
「ねえ、イヌさん、発達障害ってなに?
あたしが悪いの?」
本当は、みんなに訊ねたかったんだ。でも怖くて誰にも聞けないから、今頃、イヌのおれに訊くんだ。
「あたしの考え方とか、感じ方が、違うからいけないの?」
「先生はなんて言ってたんだ。」
「頭の機能の問題だって。物のとらえ方がまわりと違うから、まわりの空気をよめないから、いじめられるんだって。
あたし、なにも悪いことしてないのに、違うこと考えたっていいと思うのに、自由に喋ったっていいと思うのに・・・。」
少女には何の責任もない。まわりの大人が、自分たちの都合のいいように、勝手につかいだした言葉。
昔なら『ちょっと変った子』ですんでいたのが、今は簡単に病名が付いてしまう。ちょっとでも他人とちがうと、『発達障害』その一言で、その子の人生を簡単に殺してしまう。ちがって当たり前なのに、みんな同じふりをしている。ほんとうに嫌な世の中だ。
「おかあさんに、言ったのか?」
少女は あきらめた表情で、
「言えない。おかあさんはそれどころじゃないから。お父さんと離婚して 生活のために、パートで働くようになって、夕方から夜中まで、土曜も日曜も働いてる。」
「それでも家賃払えなくて、大家さんに、家から出て行ってくれっていわれてるの。」
「何度も押し掛けて来るようになって・・・。」
そこで少女の声がとまった。
悔しそうに怒りをこらえている。
「家を追い出されたのか?」
少女は首を横にふった。
「大家がしょっちゅう家に来るようになって。」
大家を呼び捨てにして、吐き捨てた。
少女の声に、怒りが含まれていた。
「あたしが学校から家に帰ると、おかあさんと一緒にこたつに入ってた。」
「それから、泊まっていくようにもなった。そしたらある日、おかあさんが もうマンションから出なくていいからって言ったの。」
「あたし、大家が家に居るの厭だったけど、おかあさんのこと思って我慢してた。」
「ふーん、ある意味、世間ではよくある話だな。」
おれは、これでも元人間、思春期の少女の気持ちも少しはわかる。
おかあさんの気持ちも少しはわかる。それが、大人のずるい考えだと言ってしまえばそれまでだ。
「それである日、おかあさんのいないときに、大家が裕美ちゃんに悪戯しようとしたんだろう?」
あてずっぽに言うと、それがあたっていた。
「うん、あたし怖くって、ものすごく腹が立って、大家を突き飛ばしたら、足を滑らせて後ろにこけて、机の角で頭をぶつけて、血を流してうんうん呻ってた。」
「そうか、裕美ちゃんは大丈夫だった?」
おれは、そっと少女の顔を見上げた。
少女は小さくうなずいた。でも、悲しい目をしていた。
「でも、あたしが怒られたの。」
「おかあさんが帰って来て、大家に怪我をさせたって。」
「大家に謝れって、あたしの話しをぜんぜん聞いてくれないで。」
自分は悪くないのに、大人の都合で悪者にされる。よくある話しだ。
しかし、叱られたこどもの怒りは、どこに吐き出せばいいんだ。
「それで、家出したんか?」
「うん。」
少女は大きく頷いた。
おれがイヌだから、悔しいおもいをやっと 吐き出せたんだ。
「でも、なにも持ってないから、誰もいないときに戻って、お金と着替えの服をとってきて、この土管の中で隠れてたの。そしたら、イヌさんがきたの。」
「そうか・・・・・で、これからどうするつもりだ。」
一瞬、おれは面倒くさいことを訊ねてしまった。少女は素直に自分の気持ちを吐き出した。
「イヌさんに会うまでは、どうしていいか分からなかったの。でも、イヌさんに会ったら、イルカになれるんじゃないかって思って。
おじさんがイヌになれるのなら、あたしはイルカになれるでしょ。」
おじさん?おれはまだ二十五才だぞ。心のなかで叫んでいた。
そうなんだ、おれはまだ二十五才なんだ。でも、考えかたはもうくたびれたおじさん。それに、ひねくれてる。
「お金はあるから、室戸岬まで連れて行ってくれたら、イヌさんがそばにいてくれたら、あたし、イルカになれると思う。」
「どうして?」
「だって、おじさん、イヌになれたんだもの。」
確かに、おれは、今、イヌ。理屈で説明できないが、現実にイヌとして生きている。
そう思っていても いつ少女の気持ちが変わるか。
それに、おれはイヌ。列車やバスには乗れない。
「おれは イヌだからなあ、どうやったって室戸岬まで行けないよ。」
すると少女の顔が、パッと明るくなった。
「カバンに入るのはどう?」
少女は、おれが一緒に行ってくれると思ったのか、急に元気な声で喋り出した。
「コマの付いた大きなキャリーバッグだったら、息もできるよ。」
どうもめちゃくちゃな話だ。
イヌを何だと思っている。
しかし、発想はおもしろい。
そして、おれと同じように、本当に少女がイルカになれるのか確かめてみたくなった。
あんがい人間は ほかの生き物になれるかもしれない。みんなそのことを知らないだけ。ただその時、どんな生き物になれるかは、だれにも分からない。
不条理の世界。
まだイヌの方が現実的で、カフカのイモ虫よりはましかも知れない。
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