わたしについて③
母方の祖父が他界してから、わが家の生活は徐々に変化しはじめる。
母方の祖母は、わたしの母を目の敵にしていた印象しかない。
祖母は、母の兄(長男)と母の弟(三男)をあからさまにひいきしていたと子どものころから感じていた。
(ひいきという表現を知らない頃からだと思う……)
結婚する前は、いわゆる家事手伝いという名目上でおけいこ三昧だった母は、働いて生活をおくるという概念にとぼしいひとだったと認識している。
だから、だれを頼っていいのか、働いて収入を得るにはどうしたらいいのかわからなかった母は、父と離婚しなかった(できなかった)のだと解釈している。(わたしが大人になってから、そう理解した。)
そんなわが家の生活は、祖父からの援助で成立していた砂のお城。
くずれるのはたやすかった。
父が起こしたあるできごと(わたしが中学生になったころに知る)により、住まいを転々としていた。
小学校は3か所、中学校は2か所ですごした。
2か所目の中学校では多感なお年ごろだったことと、父がおこしたできごとを知ったことから、小学校の転校のときとは異なるこころのダメージがあり、勉強は全くしなくなり学校へも行ったり行かなかったりになった。
そのため、高校は、名前を書けば受かるようなところに入学することになってしまう……
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