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現代社会の病理

※以下の記事は、アメブロ『サイエンスライターこながしんたろうの文系でもよくわかる新型コロナ入門』本編からの抜粋です。 


心理学に〈サードウェイブ実験〉という研究がある。
アメリカのある高校教師が、歴史の授業の一環で、「ファシズム(独裁主義)がどれほど容易に受け入れられるか」を生徒たちに身をもって体験させることにした。彼は、まずクラスの生徒全員に幾つかの規則(「発言する際は必ず教師の許可を得る」「教師に敬礼する」など)を設け、自分を「指導者」として権威づけるようにした。すると、生徒はしだいに「忠誠心」を持つようになり、「団結心」を高めようと仲間同士でも敬礼を交わし、次々と新しい規則を作り始めた。規則を守らないクラスメイトがいれば、「指導者」に気に入られるために、そのことを「告発」するようになった。

 教師は次に、クラスの生徒に会員証を与え、メンバーを勧誘するよう命じた。あっという間に「同士」が増え、他校の生徒まで巻き込んで、グループは数百人に膨れ上がった。彼らは、自然発生的に服装を統一するようになり、グループ以外の連中、違う服装の生徒たちに暴力を振るい始めた。「集団への帰属意識」が「結束」を生み、同じ「制服」の仲間以外を「敵」とみなし、暴走を始めたのだ。
授業の最後に、教師はネタバラシを行った。「これがナチスのやったことである」と。

 たった数日の間に起こったことである。

 今、世界中でこれとそっくり同じことが起こっている。
〈マスク信奉者〉は、マスクをしていない人間を見ると、恐怖を覚えるらしいが、エビデンスに基づいてマスクをしない私から見れば、マスクをしている人たちのほうが怖くて仕方ない。「指導者(知事や専門家)」に気に入られるために、「科学的根拠のかけらもない」感染対策に夢中になり、従わない人や店を「密告」し、「集団で攻撃」しているのだから。
「集団への帰属意識」は、統一した制服の代わりに、マスクという形で表現されている。私には、マスクに「見えない鉤十字」がプリントされているように思えてならない。

もう1つ、アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムの有名な〈ミルグラム実験〉にも触れておこう。
被験者は、白衣を着た研究者のいる部屋に通され、装置の前に座らされる。装置にはスイッチとダイアルがあり、「別室にいる人間の体に電流を流す仕掛けになっている」と説明される。研究者がスピーカー越しに、別室のもう1人の被験者(実は仕掛け人)に簡単な問題を出す。答えを間違えると、被験者に電流スイッチを押すよう促す。スイッチが押されるたび、別室の仕掛け人は「痛い」と叫び声を上げる(ふりをする)。間違えるごとに、研究者は電流の目盛りを上げ、被験者にスイッチを押すよう指示する。仕掛け人の「痛がるふり」もひどくなり、最後には涙交じりに「もうやめてくれ!」と懇願する。
「こんなひどい実験には協力できない」と途中で退室した人は、何と参加者の半分にも満たなかった。年齢・性別・職業を問わず、6割以上の被験者は指示に従って、命に関わる「最高レベル」の電流までスイッチを押し続けた。いずれも「ごくふつうの人々」が、である。中には、おもしろがってスイッチを押す人もいたという。

 この実験は、ナチスの幹部だったアドルフ・アイヒマンにちなんで、「アイヒマン実験」とも呼ばれる。アイヒマンはアウシュビッツ収容所のユダヤ人大量虐殺に関与したが、戦後の裁判で「ただ命令に従っただけ」と無罪を主張した(判決は死刑)。
「(上の者に命じられ)自分が責任を問われないなら、人はどれほど残酷なことでもする」ことを証明した実験である。

私は今、善良な一般市民が、いかに簡単に自由を手放すかを目の当たりにして、愕然としている。なぜ盲目的に権威に従ってしまうのか。少しでも疑問を感じ、自分で「真実」を調べようとしないのか。
今、日本国内に蔓延しているのは、「致死性のウィルス」ではない。「同調圧力」という名の「全体主義」である(周囲の空気に流される様子は、「日和見菌」そっくりだ)。
全国民が同じ思想を持つことも「多様性の喪失」である。全員一律に同じ方向を向いているような脆弱な国家は、1つのアクシデントであっけなく崩壊する。みんながバラバラを向いている(多くの価値観を持つ)ほうが、集団として健全であり、強靱なのだ。秩序を乱す「異分子」こそが「社会の救世主」となり得る。

それこそが真の「ダイバーシティ」なのである。

   (第6章 「世界は正気を失った」より)

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