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「マスクは効果なく有害」に反論の余地なし

(今日はちょっと長い記事です)

「科学」の世界で重要視されるのは「再現性」です。

太陽は東から昇る

は、世界のどこへ行っても同じ。
個人の好みや願望とは関係なく存在する「真理」です。
西向きの家を買った人が、いくら「西日で家具が傷むから西から昇ってくれ」と願っても、地球を逆回転することはできません。

このように、条件さえそろえれば、いつでも、どこでも、誰でも同じ結果が得られることが大事なのです。

「再現性」がなければ、立証も反証もできません。それは「科学」ではなく「宗教」です。

ところが、「疾病」に関しては、そう簡単にはいきません。
どれほど条件をそろえても、必ず同じ結果を得られるとは限らない。「個体差」という高い壁が立ちふさがるからです。

ある薬が、同じ病に苦しむAさんには劇的な治療効果を上げ、Bさんにはまるで効果がなく、Cさんの病状を逆に増悪させてしまうこともあります。
つまり「再現性」が担保されないのです。

この問題をクリアするには、(苦肉の策で)より多くのサンプルを集めることで「個体差を薄める」しかありません。
集団をランダムに2つに分ければ、どちらにもAさん、Bさん、Cさんが、理論上はほぼ同割合で含まれるでしょうから、「介入の効果」を判定することができます。

これが「疫学」の基本的な考え方。したがって、「疫学」では「統計データ」が極めて重要となります。

とはいえ、この統計の取り方がまた難しい。
対象者を本当にランダムに分けることができればよいのですが、そう簡単にはいきません。物理的な問題もありますが、研究者自身の「バイアス」が働いてしまうせいです。

科学を学んだことのある人は、この「バイアス」がどれほどクセモノか、よく理解しているはず。どんなに公平・公正であろうと努めても、無意識のうちに作用してしまうものです。
その結果、都合のいいデータだけを集めて、都合の悪いものは「実験失敗」として闇に葬ってしまうわけです。本来なら「失敗した実験」のデータもきちんと公表すべきなのですが、そんなことをする奇特な研究者はいません。自分で自説を否定することになるのですから。

ちょっと前に、「非接種者は車に轢かれやすい」という研究が著名な科学誌に掲載されたというニュースがありました。
一歩引いて眺めてみれば、「オカルト」としか言いようのない与太話ですが、論文の著者はとにかく「非接種は悪」というバイアスにがんじがらめになり、そう結論づけられそうなデータを必死になって探し回ったとしか思えません(故意にか無意識にかは不明)。

それはともかく、「統計データ」は、広範なものほど信用度が増します。前述の「個体差」の影響が相殺されるからです。すなわち、「統計の正確性」はサンプル数に比例する。調査した件数が多いものが、より信ぴょう性が高まるわけです。

と、ここでマスクの話につながるわけですが、マスクに効果があるのかないのか、正反対の研究が確かに存在します。それぞれ査読済みの論文です。

どちらを信じていいかわからない? 悩む必要はありません。
我々の目の前には、最高品質の「統計データ」が存在します。

この3年間、ほぼ全世界でマスクの着用が義務づけられました。義務づけられなかった国・地域でも、ほとんどの人がみずから進んでマスクを着けました。これほど長期・広範にわたる壮大な「マスク研究」は、前代未聞、空前絶後、人類史上かつてなかったことです。

その膨大なデータを前にしたら、どこぞの大学や研究機関が発表した論文なんか、吹けば飛ぶような紙切れでしかなくなります。まったくの無価値。
ただだか数千人、数万人のデータではなく、数十億人というスケールのビッグデータだからです。

わざわざ「マスク着用者」と「非着用者」を比較する必要はありません。
ちなみに、私は、この2つの集団の「比較試験」には、あまり重きを置いていません。24時間着け続けていた(いっときたりとも外さなかった)かどうか、「自己申告」に頼るしかなく、確認のしようがないからです。
しかも、どの実験を見ても、「マスク以外の因子」、手洗い、洗顔、うがいなどが、きちんと排除されていません。それでは、どの因子が感染抑制に寄与したのかが判定できません。

それ以前に、こうした比較試験を行うには、あらかじめ2つの集団に「感染者」が何割含まれているかを調べておかなければなりません。スタート地点が違えば、おのずとゴールも変わってきます。でも、そうした「条件の統一」は、いっさい行われていないのです。
また、感染したのに無症状だったため「感染者」扱いされなかった人が多数いる可能性もあり、最終的な「感染者数」も決して正確なものではありません。
要は、実験の設計があまりにずさんなのです。

そこで、前述の「史上空前のビッグデータ」が威力を発揮します。

2つの集団の比較ではなく、1つの集団(全人類)で「マスク介入」が始まる前と始まった後の「差」を比べるのです。
もしマスクにわずかでも効果があるなら、世界的にマスク着用が始まった時点をターニングポイントして、感染増加率が緩やかになるか、横ばいになるか、減少に転じなければいけません。「グラフの傾き」に必ず変化が生じるはずなのです。

でも、現実はそうはなりませんでした。
どこの国・地域でも、「マスク介入」以前も以後も、グラフの傾きに変化はまったくなかったのです。

もし疑うなら、日付を隠したグラフを「マスク信奉者」の研究者に見せて、「どの時点でマスク着用が義務化されたか?」を尋ねてみてください。誰一人、正解することはできないでしょう。

などと難しいことをつらつら書かなくても、皆様もその目でしっかり確認しているはずです。

みんながマスクをしても全然収束しない

という現実を。

この「世界規模の研究結果」は極めて頑健・強固であり、決して揺らぐことはありません。これ以上の調査を行うことは不可能。
東大であれ京大であれジョンズ・ホプキンス大であれオックスフォード大であれハーバード大であれマサチューセッツ工科大であれ厚労省であれ感染研であれアドバイザリー・ボードであれ「ネイチャー」であれ「サイエンス」であれ「ランセット」であれCDCであれWHOであれ有名研究機関であれノーベル賞受賞者であれ、「太陽が東から昇る」のと同様、誰一人反論することが許されないのです。

したがって、

「マスクに感染予防効果はない」

ことは、科学的に「真理」「定理」「原理」であると断定できます。

おまけに、ただ「効果がない」のみならず、「マスク有効論研究」では決して触れられることのない「その他の弊害」も考慮に入れなければいけません。

「マスクの有害性」については、これまでもさんざん述べてきました。
飛沫の拡散を止めると結局はウィルス塊を再吸入するはめになることや、心理的・精神的悪影響などさまざまありますが、中でも特に注意すべきは、「温暖・湿潤のマスクの内側が細菌の温床になっている」ということです。

あなたが舌先でマスクの内側をなめると、大量の病原菌を取り込むことになります。

どう考えても、マスクは「健康を害する最悪のツール」でしかない。


最後にもう一度繰り返しますが、これに対する反論は科学的に一切許されません。
世界中の全研究者が、最終的には「地動説」を受け入れなければならなかったのと同様、虚心坦懐にこの「真理」を受け入れる必要があります。

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