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ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ / メトロポリタン美術館
#ワクチンは霊感商法
「死への恐怖」を盾に「ワクチン接種」を推し進めようとするやり方は、何から何までカルト宗教の「霊感商法」とまったく一緒ではないでしょうか。
このままでは「不幸」が起こるから「ワクチンを打て」=「高価な壺を買え」というのとどこが違うのか、ぜひ教えてほしい。
A「信じて壺を買ったのに、交通事故に遭って片足を失ったぞ!」
B「いいえ、それこそ壺のおかげです。本当は命を落とすところを足一本で助かったのです」
この理屈って、
A「ワクチン打ったのに感染したぞ!」
B「いいえ、ワクチンのおかげで重症化せずに済んだのです」
とまるで同じだと思うのですが。
いや、もっと悪いかもしれません。
上の例では、Aさんは壺を買っても買わなくても事故に遭って片足を失っていたでしょうが、
下の例では、Aさんはワクチンを打たなければ、そもそも感染しなかったかもしれない(ADE、抗原原罪、免疫寛容etc)のです。
「ワクチン推進派」の言動は、間違いなく「狂信的」です。
何もかも自分たちに都合よく解釈し、データを捻じ曲げ(あるいは勝手に創造し)、平気でウソをつきます。ただし、彼らの中では、そうした行いのいっさいが「正当化」されます。
なぜなら、すべては「布教のための方便」だからです(目的が善なら、いかなる手段を取ろうとも構わない)。
「狂信的」である証拠に、批判されると、たちまちキレまくります。「信仰の否定」に対して、極めて敏感です。それこそ、「論理」ではなく「感情」に支配されているあかしです。
ともかく、どんな「世界的権威」が述べようと、論理におかしなところはないか、常に「猜疑心」を持つこと(疑ってかかること)が大事。
科学は「常識を疑う」ところから始まります。
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