綺麗なもの

私は涙脆い。いつからか涙脆くなった。ちょっとしたことで涙が溢れる。心に響く言葉を見つけた時、思わず声に出てしまうような景色に出会った時。
気づけば涙が出てる。
友達にも笑われる。でも昨日、以前私が銀杏並木を見て感動して泣いたという話を笑った友達からメッセージが来た。
「この間銀杏みて泣いたって言ってたよね?私本当仕事が嫌で嫌でたまらなくて車運転してたら虹が出てて大号泣しちゃって。気持ちがすごい分かった。」
こう伝えてくれた。そうだ。この世界は嫌なことばかりで本当にどうしようもないほど救われないことが多くて。
最近読んだ寺地はるなさんの「白ゆき紅ばら」という小説で、主人公が家を出たかった理由に対してこう言う。
「世界が生きるのに値する場所だと思いたかったから」と。そしたらある人はこう言った。
「はっきり言うけど、この世はクソだよ。あなたもぼくもその中でもがいている。クソの種類が違うだけ」と。
涙が止まらなかった。ずっとずっと気付かぬふりをしていた。心の中では分かっていた。この世の中がクソだと。クソみたいな世界だと分かっていた。でも分かってるふりだった。嫌な世界だなってただ思うだけでちゃんと理解していなかった。こんなに正直にクソだと言ってくれて、涙が止まらなかった。やっぱりクソなんだと。
「その中で生きていくしかないんだろうね」
「死ぬのってけっこう難しいから」
本当にその通りだった。この世界は全然美しくない。でもその中で私たちは必死に美しいものを追い求めている。救いをその中に見つけようとしている。生きるために。生きる材料にするために。
だからなのだ。綺麗な景色を見つけた時。肯定してくれるような言葉に出会った時。ずっと見てられるような絵を見た時。ああ、この世界にはまだこんなに美しいものがあったんだと、まだ完全には腐っていないんだとそう思えて涙が溢れる。見つけられてよかった。まだ大丈夫だと言われているような気がする。それにまた涙する。
これからも私はこうやって救いの手を本だったり景色だったり追い求めていくのだろう。いつかこの世界は美しいと心から思える日まで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?