私の場面緘黙

やっと認識。

実力を褒められる場面で
『場面緘黙』が すごかったんだなと。

不思議に、そして訝しく見えると思う。
褒められたり、そんな時に 意識が真っ白になる。


また利用されるかもしれない。嬉しいのに。
でもやってみたいのに。
その先を考えたくない。見たくない。

ずっとその疑念、恐怖と共にいなければいけない事が、ついて回る事が、分かっている。

進めない。

その先では 思い通りにいかないと手のひらを返し、いびられる様に搾取され、
そのやり取りでの均衡を保たねばならない事を知っている。

そんな実力を培う為に、完全に利用されてきた過去。
家族、親族、教師。   逃げられず。
挙句 超有名病院の適当な誤診で精神科。
その脱却阻止の為の虐め。

成人を目前に逃げ出し、
逃げられず、連れ戻され。
また、20年あまり。


ただ褒められたり、
一緒にやっていかないかと誘われたり、
それが恐怖に繋がる。

もちろん、未だに癒えない。

これで弱気に引っ込んでしまう自分がいるのは、
当たり前。

でも傲慢だと勘違いされて、たくさんの機会を逃してきてしまったんだろう。


それでも大筋 卑屈に拗ねる事なく、
ここまでこられたかなというのは、
我ながら偉かったなと、思う。

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