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「了解です」という言葉はいつから失礼になったのか

「了解です」という言葉を目上に使うのは失礼、というマナーはいつから一般的になったのでしょうか?

私自身がそれを感じたきっかけになったのは、以前ある会社で人事部長をしていた時のことです。だいたい、2011年くらいのことです。

当時、課長職で中途採用した人。私より7歳くらい下、おそらく1970年前後の生まれだったと思います。
ある電炉製鉄所の人事総務の出身で、とても真面目で頭の良い方でした。

彼は私や社長に対して、メールでも会話でも、必ず「承知いたしました」を使います。

私はその時点では、社長に対しても、「了解いたしました」「了解しました」を普通に用いていたので、ずいぶん丁寧な人だな、やはり固い会社の出身は違うな、くらいの感想でした。

その後、いろいろな媒体で、「目上の人には『了解』は失礼」という記述を見かけるようになり、安全のために、目上の人には「了解」を使わなくなりました。

今年に入って、了解です、がいつから失礼になったのか、というニュース記事を見ました。
日経新聞上で、初めてそのことに言及されたのは2009年3月。
だいたい、2007年頃からマナー本などでそうした記述が見かけられるようになったそうです。

これは私の感覚と一致していますね。今でも、いくつかの辞書では「了解いたしました」は充分に丁寧な言葉であるとされています。

このように、言葉は(特に口語は)時代と共に変化しています。
そのこと自体には、私は肯定的です。言語とはそのようなものだし、時代と共に死語となったり、新しく生まれた言葉や用法は多くあります。

それはそれとして、2024年1月現在、私が違和感を持っている言葉をあげてみます。

「永遠と」
これは、おそらく「延々と」の誤用から始まったのではないかと思います。
最近、「ずっと」という意味で「永遠と」と言っているのをよく見ます。
「ずっと食べられる」「すっと見ていられる」というような言い方と近似なのでしょうか?

「近しい」
近しいとは、人間同士の関係性を現わす言葉だと思います。でも、今は「似ている」ことを「近しい」と言うのをよく見ますね。

「大丈夫です」
面接の最後に、何か質問はありませんか?と聞いた時など。「無い」「いらない」「必要ない」ということを婉曲に表現しているのでしょうが、未だにモヤモヤします。
関係ないけど、栃木の人は、大丈夫を「だいじ」と言います。「大丈夫?」の時、「だいじけ?」と言われるのはとても好きな言い方です。

まあ、このあたりもあと何年かしたら当たり前になるんでしょうね。


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