「興譲館」の扁額は渋沢栄一が揮毫!・・・【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その11】

画像1 さあ、いよいよ郷校興譲館です。一橋代官友山勝次の発議に七日市宿の佐藤正左衛門など領内の主だった庄屋が設立運営に当たった庶民の子弟が学べる学校です。その初代教授として請われたのが阪谷朗盧でした。設立はペリー来航の嘉永6年(1853)でした。そして元治元年(1864)、この興譲館の阪谷朗盧に会いに来たのが渋沢栄一でした。ここで2人はお互いを認め合い地域の人々に信頼され栄一の「農兵募集」は成功したのでした。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その12 に続く】

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