美味しいにこしたことはないでしょ。

あと、どんなに生きても3、40年。
1年365日✖️3食✖️30年=32850回の食事の機会がある。

しかない。とも言える。

そう考えるとせっかくだから美味しいに越したことないでしょ。って
思うわけです。

なんなら人類は長らく飢えとの戦いをしてきたわけで、そういう意味では少しぐらい食事抜くぐらいの方が適している。健康的。ファンダメンタル。
と言えるわけで、腹八分に医者いらずなどというわけだし、
質素に慎ましくしつつ食べる時は美味しいものを少しづつ。
出来れば旬のものを。

っていうのが理想の食生活かなと思うし、真実なのだと。

しかしDNAに刻まれた「食える時にたらふく食っといた方が生き延びれるのだ」という呪縛は恐ろしく強固で、ついついね。

成人病や癌を恐れるくらいなら江戸時代レベルの食事をしときゃ良いのだろうけど、そこまでストイックになるのも中々に難しい。

たまにシシャモやらメザシを頭からぼりぼり食べるとホントしみじみ美味いなぁと思うし、
新鮮で滋養豊かな野菜を蒸して塩かけただけで食べるとこれまた美味いなぁと唸ることになる。

いろんな手法や世界の調味料を使って工夫を凝らした料理ももちろん素晴らしいけど、一周回ってシンプルが美味しく感じる年頃になりました。

あ、かかりつけの医者からは塩糖脂(えんとうし)に気をつけましょうみたいなこと言われているので、
身体がシンプルを欲してるのかもしれません。

身体が欲するっていうのは本当にあって、今思い出すとまあまあ成長期の真っ只中の16、7歳くらいまで実は男の子にありがちな野菜嫌いだった自覚があります。

ところがある日無性に、本当にきっかけも何もなく突如無性に葉物が食べたくなって、アジシオかけながらレタスを丸ごと一個食べた覚えがあるのです。

そしてそのレタスの美味しかったことと言ったら。

人生においてあんなに美味しく感じた野菜は後にも先にもありません。

多分身体がマックスに葉物野菜を欲しがっているタイミングでの投入となったのでしょう。

生物として身体が喜んでいましたもの。


今自分に足りないものをしっかりと見極めて食べることが出来たら、
心も体も満足する食事となるということなんでしょうね。

あーあ…何食べたいのかわかんないなぁ…ってぼやいている時は、
満たされているのか、
感覚が鈍化してしまっているのか…

多分後者なのかもしれないです。

身体の声ってやつ聞いてやろうじゃあないの。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?