東日本大震災から12年

東日本大震災から12年となる3月11日。
東北創価学会では、全犠牲者の冥福と被災地の復興を祈念する「福光・前進の集い」を東北各地の会館で行った。私も宮城県仙台市での集いに参加し、懇ろに題目を唱えた。

本日の聖教新聞には、福島県南相馬市在住の作家・柳美里さんのインタビューが掲載された。

「同じ事象であっても、一人一人の『苦しみ』は、さまざま」「言葉にならない悲しみもある。そうした『沈黙』も含めて、聴くことが必要ではないか」
――「聴く」ことから「共苦(共に苦しむ)」が生まれ、共有できる相手の「おもい」があり、「今」があることを指摘されている。

この言葉に、かつて、柳さんが手掛けた戯曲「町の形見」を拝見した記憶がよみがえった。劇中、プロの俳優と共に出演しているのは、福島県南相馬市に住む一般のお年寄りたちである。方言指導のために呼ばれた住民たちが、役者らの問い掛けに応じ、自らの人生を語りだすというストーリーだ。鮮やかな震災前の記憶、人生を一変させた「3・11」、現在の避難生活……。実際に被災した8人の声から劇は成り立っていた。
柳さんは語っている。「沈黙の中から感情を救い出し、言葉を揺り動かすことができるのは、自分自身の声しかないのではないか」と。

「人間」を意味する英語の「person」はラテン語に由来し、「per(~を通じて)」と「sonus(音、声)」の2つを組み合わせた言語とされる。人とは「音や声を通じて語りかける主体」であり、「話す相手」「他者」の存在を前提としている、というのだ(『福島はあなた自身』福島民報社)。

人は他者と関わり、響き合う中で生きていける――「3・11」から数えること4384日。私自身の体験としても、被災地に暮らす学会員から伺う体験を通しても実感する確信だ。

想像を絶する喪失感に直面した時、全てを包み込んでくれた人生の師匠。傍らで寄り添い、一緒に涙を流してくれる友。復興をわが事のように思い、祈りを送り続けるメンバー……。一人の人間が立ち上がり、声を上げられるまでには、必ずその方の声(時には声なき声)を聴き続けた存在がいる。そうして織りなされた「言葉」は、今度は他の誰かにとっての希望へと変わっていく。そんな“人間凱歌”とも呼ぶべき復興のドラマを幾重も目の当たりにしてきた。

「3・11」から干支が一回りする12年という歳月を経た今、改めて思い起こした池田先生の言葉がある。

「皆さん方の一日また一日の不撓不屈の体験こそ、人類史に輝きわたる、かけがえのない『未来までの物語』です」

東北が歩んできた「経験」を「歴史」へと転換する挑戦。その魁となることこそ、青年世代の使命だと心に決めている。

「13年」の第一歩となる明日は、故郷・岩手県宮古市で行われる「東日本大震災証言会」(東北青年部主催)に参加する予定だ。

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