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10/21「日記という体で」

  • 記事冒頭の写真は、「学校に連れてきていないはずのユキハミが突然机の下から現れた」がテーマです。お、おい!どうしてここに!

  • と言っているが、最近はユキハミを大学に連れて行きまくりである。お菓子配りの時の目印代わりのマスコットだ。写真を撮られたり、撫でられたりするのもお手の物。色んな人に会えてよかったね、という親心でユキハミを見守っている。何なら授業にも連れて行って、隣の席に座らせては終始なでている。隣の学生がユキハミをなでていたら、十中八九ぼくです。

  • ぬいぐるみのお医者さんというサービスを最近知った。ユキハミと要られる時間が有限であることが、今から受け入れられない。どうにかして長い時間このままでいてほしい。だけどそう思うのも、僕自身のエゴでしかないのかもしれない。ユキハミにはユキハミの人生があるはずだ。そう思うと、昼過ぎからほろりとした。僕が一番医者にかかるべきでは?

  • ほろりとした直後、クレープ食べに行った。写真忘れた。食べ物を食べるときに写真を撮る習慣がなさすぎる。そしてそんな自分を愛してしまう逆張りな自分を、僕はどうにもできずにいる。クレープ美味しかった。知っている人に会って、口にクリームついてますよ、と言われた。普通こういうのはあざとい所作になるのだろうけど、僕のは笑えない。笑えないです。

明るみの中にいるユキハミと、暗がりの中にいるユキハミ
  • そういえば明日はめちゃくちゃあこがれの人に会える。会うというか、公開収録を見に行くだけだけど。やばい。神同然くらいの人に会える。やばい!どうしよう!!!やはり僕は恋する乙女。

そんなとこ行ってどうするの!怪我するでしょうユキハミ!

話は変わるが、僕は割と小説を読む。小説の中には「私小説」という、筆者自身の経験をもとに、あるいは経験をほぼ脚色せず、小説としてしまうジャンルがある。最近ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノー『シンプルな情熱』もそれに近く(私小説というくくりは日本特有のものらしいので)、楽しく読んだが、自身の体験を小説って、かなりやばいな。やばくない?やばいよ。ねえ。なにより小説になった途端許されているのがやばい。ふつういやだよ。友達に広められるのも嫌なのに、世界に広めておいて、ノーベル文学賞取っちゃってるもん。もう何も怒れないよ……。

  • ということで、僕のnoteも、真偽混ざった状態の、日記という体でnoteを書いてみようと思う。真実だけの日があれば、嘘だけの日もある。誰かを傷つけるようなことは絶対書かないという制約のもと、好き放題暴れてみる。結局どれが本当かわからないままのほうがたのしい。

  • そういえば『花束みたいな恋をした』に出てくる作家、今村夏子・滝口悠生・いしいしんじ・穂村弘・長嶋有・堀江敏幸・柴崎友香・小山田浩子・舞城王太郎・多和田葉子らしいけど、ぜっっっっったい多和田葉子は読んでないよ。本当になんとなくの判断だけど。だって、書店に全然売ってないもん。売ってくれ、多和田葉子。頼むから。『犬婿入り』は微妙だったけど、『容疑者の夜行列車』はかなりよかったよ、多和田葉子。これから『献灯使』読むよ、多和田葉子。ノーベル文学賞取ったら古参アピしてもいいかな、多和田葉子。


ユキハミ、ディストピアはすぐそこにあるらしいよ、こわいね。
  • いずれ本の感想とか、掌編とかも書きたいな。誰も読んでいないところに向かって何かを書く適性があるので。あとは毎日続くかだけど……。

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