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なんで察してくれないの、と思ったら

今日は、パートナー間でよくある(とされている)論争のひとつである

「なんで察してくれないの」
「言ってくれなきゃ分からないよ」

問題についてです。

わたしも結婚当初、夫によく訴えたものです。

なんで察してくれないの。
仕事してる時間はそっちの方が長いかもしれないけど、帰ってきて家事してる時間も含めたらトータルの労働時間変わんないよ。
どう見てもわたし、疲れてるでしょう。
分かるでしょう。
なんで気付いてくれないの。

いやー…
知らんがなって話ですね!

まぁ、今よりちょっと若かったし
人生経験足りてなかったし
家族以外の人と暮らすの初めてだったし

いっぱいいっぱいだったのは分かるけど
過去のわたしに言ってやりたい。

なんで察してくれると思ったの?

***

なんで察してくれないの
=「言わずとも気付いてほしい」

言ってくれなきゃ分からないよ
=「思っていることを言葉にしてほしい」

どちらも、相手に対する期待です。
相手への過度な期待は、危険です。

だって相手は、別の人格を持った別の人だから。

自分が当たり前のように気付くことを
相手も自然と気付けるとは限らないし

自分が吸って吐くように言語化できることを
相手も難なく行えるとは限らない。

互いの愛を確かめ合ったり
一緒に暮らしたり
結婚して家族になったり

そういった奇跡とも言える道筋を辿ったことで、2人は1つだ!という幻想を抱いたとしても、残念ながら相手は自分ではないし、自分は相手ではありません。

そんなこと当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、案外「そんなこと」をわたしたちは忘れがちです。

「だからお前は、これだから女ってのは」
「あなたのは、育ちの問題なんじゃないの」

なんてNGワード連発でお互いを罵りあってしまっては、せっかく今まで丁寧に積み上げてきた関係性が台無しです。

わたしは、夫への感情を爆発させてしまう前に、自分から働きかける努力をすべきだったなと思っています。

わたし、実は今、仕事と慣れない家事を両立させようとしてすごく疲れちゃってるの。
だから週末にでも、しなくてもいい家事について一緒に考えてみてくれないかな、と提案すればよかった。

自分からは何もしないで「なぜ自分の思い通りに動かないのだ」という問いを相手にぶつけるのは、傲慢です。

わたしはこうしたい
あなたはこうしたい

食い違いがあったら、お互いが納得できる妥協点を何度も話し合って、修正し続けていくしかありません。

めんどくさいですよね。

でも、その面倒をよっこらしょと越えていかないと、2人の先に道はない、ように思うのです。

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