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家族大好き人間へのやっかみで"かぞかぞ"が見られなかった

わたしは、母が苦手です。

いわゆる、過干渉タイプの母。

母は、わたしの単独行動や遠出や外泊を許さず、わたしを手元に置くことを好みました。
わたしの行く手を決め、母の命令に背こうとすると急に弱さを出し、罪悪感でもって従わせました。

子どもの頃はそんな母の行動をさほど不思議に思っていませんでしたが(というか幼い頃のわたしは気が弱く母の言いなりで反抗心を持っていなかった)高校生の頃、わたしは自分の息苦しさに気付きました。

遅まきながら自我が芽生えたことと、交友関係が広がったことで、自分をぐるぐる巻きに縛っているこの愛という名の糸はどうやら普遍的なものではないらしい、ということに思い至ってしまった為です。

そうしたら急に、家族大好き人間が疎ましくなりました。

親子の絆
母の愛
家族の結束

そういう感じの歌もドラマも小説も映画も、嫌いになりました。

屈託なく「お母さん大好き!」「家族が一番!」「地元最高!」と言える子が羨ましすぎて、こっちの気も知らないでそれを押し付けてくるメディアが呪わしくて、たぶん家族愛を謳ったものだろうと予感した時点で意識的に遠ざけるようになりました。

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」

通称"かぞかぞ"。
気になりながらも、そのタイトルに抵抗感を覚えた為にBS放送時は見ることができませんでした。

でも、地上波での放送が決まって、試しに、念の為、一応、1話だけでも、などと自分に自分で謎の言い訳をしながら録画してみて、観てみたら、面白かった!

何故か全員サングラスに喪服でどこかに出かけようとしている冒頭シーン、目を凝らすと確かにロケット風船が揺れているのが見えるシーン、桜咲く中、お母さんが颯爽と画面を横切るシーン。

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」と心から思えたなら、どれだけよかっただろう。

わたしだって母を愛したかった、好きでいたかった、でもどうしても一定の距離を保たざるを得ない罪悪感を抱える哀しみよ。

そんな屈託だらけのわたしのような者から観ても"かぞかぞ"は良質なドラマであり、1話を観終わったあと原作エッセイを欲しいものリストに入れたし、noteも読んで(元々noteだったことに驚きながら)、原作者をフォローしました。

食わず嫌いも、食べてみたらおいしいってことが、あるみたい。
怖がらなくていいよって手を広げてくれていることが、あるみたいです。

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