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「若い女の子」を脱ぎ捨てて、わたしは「わたし」になった

歳を取って良かったことは、数多あります。
たぶんわたしは、中年というカテゴリーに向いているのだと思います。

晴れて中年女性となった利点の一つに
「多くの男性からの性的対象から外れたこと」
が挙げられます。

…え?嘘でしょ。
人類は全員モテたいと思ってるでしょ?
と思う人は、想像してみてください。

飲み会で、自分よりも大きく確実に力が強い、上にこちらからの好意は微塵もない人に許可なく肩を抱かれ、至近距離であわよくば…という眼差しや息遣いを感じる場面を。

相手は自分より社会的地位が高い場合も多い為、本気で「やめろ」と言えば角が立つが、薄笑いを浮かべれば先方に「NO」が伝わらないという如何ともし難さが生じます。

あるいは。

道を歩いていたら、もし急に羽交い絞めにされたら屈服せざるを得ないと思われる体格の、しかもどこか嫌悪感を覚える人に話し掛けられ、断っているのに「ちょっとならいいじゃん」と付いてこられる場面。

本気で「NO」を突き付けたら相手は逆上するかもしれない。今ダッシュすれば振り切れるだろうか。それでも追ってきたらどうしよう、と頭の中で素早く計算することになります。

そうした場合、相手からの好意は迷惑及び恐怖でしかない、と思いませんか。

「自分」の部分は女の子ではなく是非ご自身を当てはめていただいて、言い寄ってくる相手はご自身の1.5倍くらいの大きさの人を想像してみてくださいね。

***

少し話はずれますが、大学生になったとき、目に見えて痴漢が減ったのには驚きました。
卒業間近、電車に乗った高校3年生のわたしと、同じ時間、同じ電車に真新しいテキストを抱えて乗った大学1年生のわたしは、ほとんど何も変わらないというのに。

痴漢が制服姿に狙いを定め、標的としていたことが明らかになり、犯人はわたしではなく「女子高生」を触りたかったのだな、と理解しました。

中年のおばさんになることは、「若い女の子」という制服を脱ぎ捨てること、なのかもしれません。
わたし自身の性格や人柄ではなく「年若くて御しやすそうな女の子」に狙いを定めていた人たちは、中年になると面白いほどあっけなく、周りから姿を消したからです。

今、若くなくなったわたしに興味を持ってくれる人たちは「わたし」そのものを見てくれている、気がします。

若い女の子枠からも、性的対象からも外れて、わたしはようやく「わたし」になりました。

枠から外れることが寂しい人もいるだろうし、そう思う人のことを否定はしません。
でもわたしは個人的に、そのことを心から寿いでいます。

わたしは歳を取って、本当によかったと思っています。

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