人間ぎらい
わたしは長らく自分のことを
「子どもが苦手」なのだと思ってきました。
やたら見てくるし
触ってくるし
ズケズケとものを言うし
急に奇声をあげるし…
いいところが見つからない。
でもある日、ふと気付いたのです。
他者に対する遠慮のない人
肩や腕にベタベタ触れてくる人
テリトリーに踏み込んでくる人
罵声や怒声をあげる人
わたしはそれが大人か子どもかに関わらず
そういう、人間らしい人間がきらいだ
ということに。
***
子どもというのは、人間社会に出現して日が浅く、総じて社会性を完全には身につけていない為か、何というか…
むき出しなのが多いな、と思います。
人間らしさを覆い隠すものがなく、むき出しで、全開の状態。
無論個人差はあり、元々の性質が内向的、あるいは思弁的な子どももいないわけではありません。
ただ、交流大好きホモサピエンス丸出しの子どもがどうしても前面に押し出されがちで、彼らはとかく、目立ちます。
わたしはその様をまざまざと見せつけられ、最悪の場合その価値観をピュアな瞳と覚えたての言葉で押し付けられるのが嫌で「子どもには出来るだけ関わりたくない」、有り体に言えば「あいつらマジで無理」と思っていたのだと思います。
わたしは人間のいやーな、汚い、くっさい部分を社会性というオブラートによってどうにか包んで蓋をして、あたかも無いように見せかけている大人社会でこそギリギリ生きられるのであって、大多数がむき出し人間である子ども社会では、もはや生きられないでしょう。
というか今思うとわたし、よく学校生活送れたなと思います。
恐らく当時は、わたし以外の他者が「普通」であり、適応できない自分がおかしいのだと思い込んでいたが故に何とか気合でやり過ごしたのであって、今のわたしが人生2周目であの空間に投げ込まれたら、馴染むのは不可能でしょう。
…まぁ、1周目でもうまく立ち回れずに、漏れなく除け者にされたりイジメを受けたりしたのですけれども。
わたしはそもそも、人間という生き物がそれほど好きではないのかもしれません。
総じて攻撃的でいつもどこかで争っているし
弱くて非力な割に傲慢な傾向にあるし
群れたがるくせに差別したり虐めたりするし
毛が中途半端且つ局所的に生えているし
人の生き方に口出したり文句言ったりするし
人間って冷静に見つめるとあまり
魅力的ではないような?
…
でも、そう考えると不思議です。
そんなにも人間ぎらいのわたしが、好んで本を読んだりドラマを見たりして人間模様を楽しんだり、登場人物に感情移入して本気で憤ったりすることや、現実にも好きな人や推しができたりすることが。
好きが高じて結婚して家族になって一緒に暮らしたりしていることが。
これは、98%くらいの人間をきらいと認定しているからこそ、残り2%はとことん好き、ということなのでしょうか。
例えばすごく美味しいトマトがあったとして、元々トマト好きな人は「へーうまいねー」くらいの平坦な感想しか持たないけれど、トマトが苦手な人が「こ、これなら食べられる!トマトって美味しいのもあるんだ!」と感動するようなこと?
…なのかもしれない、などと思いながら今日も「普通」の人間に擬態して生きています。
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