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ストライクゾーンが広くなった

中学生の頃、わたしの理想の人は「アシタカ」でした。

生きろ。そなたは美しい。
共に生きよう。

など数々の名言を残したアシタカ(ジブリ「もののけ姫」)。

当時、中2病ならぬ正真正銘の中2だったわたしは、交換日記をしていた子とアシタカやサンのイラストを描いたり物真似をしたりするなどして、存分にキャッキャウフフしたものです。

サンとかカヤは無理でも、せめてヤックルになりたい!アシタカ様のお役に立ちたい!とか言ってました。
嗚呼、中2。
(交換日記、懐かしや)

でも、大人になってよくよく考えてみたら、アシタカは一緒にいると息苦しいタイプ(わたしにとっては)のような気がします。

互いの成長の為にスキルアップとかリスキリングとか目指しそうだし、休みの日に1日ダラダラしてるのとか苦手そうだし、弱音とか愚痴とか人の悪口とか一切言わなさそうだし、ウジウジ悩むわたしに完璧な解決策を提案してきそう。

(妄想)


恋愛云々だけでなく、10代〜20代の頃は他者に対して何かと理想が高くて夢見がちだったような覚えがあります。潔癖というか。

だらしない人とか、小汚いのをそのままにしてる人とか、勘違いしてる人とかが許せませんでした。

「~するべき」
「人に迷惑かけるなんて許せない!」
とか、結構平気で口にしてました。
(あんたも大概人に迷惑かけとったで)

がしかし、不惑のお年頃を迎えた今日この頃、世の中の色々な人がかわいらしく、愛おしく思えてきました。

結構なお年と見受けられる、むっさ乙女な恰好をしている人とか、若さや美貌を最大限に活用・謳歌している人とか、奥さんと会社の愚痴で24時間戦えそうなおじさんとか、グイグイ来る関西人とか。

誰もが、自分が持って生まれたものと、今までの人生で培ってきたものとをアイテムとして使ったり使わなかったり、ここぞという時にベホマズンとかパルプンテとか、はぐれメタルの剣とかを持ち出して、何とか頑張って生きてるんだよなと思うのです。

なんかみんな、かわいい。

わたしは、夫と2人で暮らす家という心地よい宿屋に泊まってばかりで、戦うとしてもスライムかドラキーまで(ゴーレムやギガンテスが来たら躊躇なく逃げる)。
HPもMPも全然減らないので、わたしが持ってる薬草、良かったら分けて差し上げたい。

年を取ることで自分に厳しくなくなった分、人にも「そういうこと、あるよね」という労りの気持ちみたいなものが芽生えたのかもしれません。

一方、
自分のことを棚に上げて人の悪口ばっかり言ってる人とか、想像力ゼロの差別発言を繰り返す人とかに対しては、今は腹が立って全然かわいいと思えません。

いずれ彼らのことも許容してしまう日が来るのでしょうか。

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