自分の命、子供の命
こんにちは、はた(@hatamasa1982)です。
先週添乗で鹿児島県の知覧特攻平和会館に行ってきました。
今回で3回目の訪問です。
最初は20代前半、2回目は30代前半、そして今回は40代前半。
奇しくも約10年おきに訪問していることになります。
今回は自分の立場が変われば、見え方も変わるという話です。
最初の訪問(20代前半)
入社して間もない、20代前半に行きました。
特攻隊の方々とほぼ同世代でした。
完全に特攻隊員に感情移入です。
死ぬとわかっていて、搭乗する気持ちってどんなだろう。
家族が悲しまないように、辛さを隠す気持ちって。
例え本音を伝えたくても、検閲のため言えない辛さって。
特攻前の笑顔の写真をみると、
自分だったらこんなに笑えるかなとか思ってしまいました。
怖くて気が触れてしまいそうです。
2回目の訪問(30代前半)
一人目の子供が生まれた頃でした。
特攻隊員は10代後半~20代前半が中心でしたが、
幼いお子さんがいらっしゃった方もいたそうです。
生まれた子供の成長を見守ることができない辛さ。
幼い子供を抱えながら生活しなければいけない妻の大変さ。
ちょっと気持ちの整理がつかないですね。
大きくなったら子供に読ませるようにと残された手紙もありました。
残してしまう家族のことを思うと、言葉にできないですね。
今回の訪問(40代前半)
上の子がもうすぐ10歳になります。
今回は立場が見送る側に逆転しました。
10代後半まではもう少し時間がありますが。
こんなことで、将来ある子供の命を奪っていいのか?
人生これからなのに、何のために生まれてきたのだろうか?
また10年後に行くことがあれば、より感情移入してしまうかもしれません。
まとめ
1回目:親を思う特攻隊員に感情移入
2回目:残された妻・子を思う特攻隊員に感情移入
3回目:特攻に行くわが子を見送る親に感情移入
平和を思う気持ちはいつも一緒ですが、
自分の年齢や立場によってこうも見え方が変わるんだなと
不思議な体験ができたので今回アウトプットしてみました。
今回は以上です。
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