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北広島にボールパークが出来た経緯から考えた中小企業の勝ち筋とは?

こんにちは、はた(@hatamasa1982)です。
調子に乗って先月参加したビブリオバトルの内容もこちらに投稿します。
初参加で初優勝させてもらいました。(ビギナーズラック?)
参加させてもらってとても楽しかったです。

2023年3月北海道に新たな野球場が誕生、その名はES CON FIELD HOKKAIDO。プロ野球北海道日本ハムファイターズの本拠地。開閉式の屋根と天然芝を併せ持つ野球場。球場内にサウナとクラフトビールの醸造所があるのは世界初。では、この球場はどこに創られた?
それは札幌市に隣接する北広島市。札幌市の人口180万人に対して、わずか6万人弱。開墾したのは●●さんの住む広島県出身者、それが北広島という地名の由来にもなっています。では、なぜこのスタジアムは札幌ではなく北広島に創られたのでしょうか?
建設決定の経緯が描かれているのがこの書籍。併せて新球場誕生の裏側にある多くの人間ドラマも紹介されている。今回この書籍を選んだ理由は、中小企業が大企業に勝つときのヒントがあると思ったから。ファイターズが札幌ドームと札幌市に愛想を尽かして出て行ったという単純な話ではないことがよくわかります。
本日のナビゲーターはノンプロ研会員番号647番のはたことはたはらです。ちなみに読書は電子書籍派。よろしくお願い致します。今回の建設地決定はどれほど大変だったのでしょうか?
福岡県糸島市です。人口は約10万人弱で隣に福岡市があることから北広島に似た環境。もしホークスが新しい球場を作ると言って、糸島市が立候補したらどう思うだろうか?「大都市福岡市を離れるなんてありえない」と多くの人が思うのではないだろうか?ではこの計画はいつから始まった?
実は2015年、球団内では札幌ドームを出る計画が極秘で進められいた。中心になったのは事業統括本部長の前澤。さらにさかのぼること5年前、前澤は自前の球場の必要性を訴えたが却下され球団を去っていた。球団は新球場建設を前提に前澤を呼び戻した。なぜそんな前代未聞の計画を立てることになったのか。札幌移転当時からの理念「Sports & Community」を実現するためだった。球団内部でも札幌市内での建設地を探していた。では、北広島が候補になった経緯は?
実は北広島市では、積年の課題であった総合運動公園整備計画に向けて動き始めていた。50年もの間棚上げにされ続けていた問題だった。「ファイターズの2軍戦」「高校野球の予選」を望んでいた。ファイターズ関係者にあった市役所関係者は、のちに新球場計画を知らされる。北広島を候補地の一つとして検討したいとのことだった。2016年6月、北広島市長の上野は正式に誘致に乗り出すことを表明した。いきなり北広島が立候補して、どんな反応が待っていた?
北広島市民や市役所関係者ですら、可能性はほぼ0と思っていた。「本当に来るわけがない」「札幌市との交渉材料に使われているだけ」「結局は札幌になるんだろう?」そんな声がどこから他ともなく聞こえていた。そんな声は聞こえながらも、球団と北広島市の交渉は続いていた。
北広島市の担当となった川村とファイターズ前澤の交渉はかなりタフなものだった。同席していた人間がその緊張感と圧迫感に耐えられないこともしばしばあった。これで交渉決裂だと思ったことは一度や二度ではなかったそうです。「北広島」の名前は変えられないか?「そんなことできるわけがない」ただ、担当の川村には一つわかったことがあった。ファイターズは真剣だ。決して札幌市との交渉に使われているわけではない。可能性は0ではない。一方、本命とみられていた札幌市の動きは?
正式な候補地決定すらままならぬ状況だった。候補地を選ぼうにも土地の所有者や関係者の同意すら得られず二転三転していた。北広島市は固定資産税の10年間減免や様々な提案をしていた。交渉は北広島が優位に立っているように見えた。ただ一つ言えることは、ファイターズはどちらかにある程度決めていたわけではなく、本気でぎりぎりまでどちらにするかを検討していたということです。新球場の報道が出て約2年後、運命の日がやってきます。
交渉の過程は北広島が優位にも見えた。しかし、結局は札幌に落ち着くんだろうという声も大きかった。この日の日本ハム本社の取締役会で候補地が決まる予定だった。球団の決定が承認されるとは限らなかった。以前新球場を作ると決めたとき、ある役員から「札幌につくるんだよな?」と聞かれ「そのつもりです」と回答したこともあった。取締役会で覆される可能性も充分にあった。結果は前澤たちの提案した北広島市となった。では、この決定的要因となったものは何でしょうか?
5年後の2023年3月新球場はオープンした。今回の逆転劇はなぜ起こすことができたのか。その理由は明かされていません。ただ、前澤は2018年2月に行われたシンポジウムでこう答えています。「どこに創るかよりも、誰と創るかの方が重要だと思っています。」ここに大きなヒントがあると私は思いました。そして、どこの会社と仕事をするのではなく、誰とするかと思わせれば中小企業でも大企業に勝つことができるのではないかと学びました。そして、完成したボールパークですが、実はまだ未完成です。
昨年の開業後も、アスレッチック等の設備が次々と増えていきます。今後数年以内に球場周辺には、JRの新たな駅、大学の移転、高齢者施設等がますます人が集まるようになってきます。球団の掲げる理想「Sports & Community」に少しずつ近づいていくのだろうと思います。
余談ですが、住所は本当に変わりました。北広島市共栄→北広島市Fビレッジになっています。

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