見出し画像

認知症とスピリチュアル

昨年末のクリスマスの翌日、父が脳出血で緊急搬送された。
数日後、緊急手術。命を取り止めた。
現在はリハビリ病院に滞在中。



ちょうど1年ほど前から、軽い認知症状が始まり、勤めていた外資系の商社を退任することになった。この時76歳。

もう充分お仕事をさせて頂けたと思う。

7月に77歳のお祝いをして、そして年末・・という流れだ。

活動的で、スポーツマン、人付き合いが活発な父にとって、一変、人生を切り替えるタイミングがやってきた。
新しい人生のステップの始まりだ。



本人はもちろんの事、家族にとっても、とても気持ちの切り替えが必要だと考えた。


物事をいろいろな角度から見る事、捉える事の習慣がある私でも、少しネガティヴに捉えてしまうこともあった。

それは、
「元通りになる」ことが良いことなのではないか、という思い込みだ。
活動的な人だったから、ゆっくりしているのが退屈なんじゃないか・・・とか、
家に帰りたいんじゃないか・・・とか、
スポーツしたいだろうな、お友達に会いたいだろうな、
仕事をはつらつとしたいだろうな・・・などなどの思いだ。



そんな時、バシャールだったら認知症をどんなふうに捉えるかな・・・とインスピレーションがきた。


彼の言葉とは少し違うかもしれないが、私なりに理解したのはこんな感じだ。

「忘れること」は決してネガティブな事ではない。
「死」を目の前にして、いきなり「死」が訪れるのはとても恐怖に感じる事だという事。

少しずつ忘れていく事で、死への恐怖を和らげていく。



思い出す必要がないから認知症になったのだ。


「認知症は穏やかに死を迎えるためのステップ」だというように私は理解した。

昔の事を思い出す必要はない。
今の彼には、思い出したところで役に立つものではない。
思い出す必要がないから思い出さないのだ。

いずれ、私の事もわからなくなってもそれでいいや。自然な事だ。

今必要な事だけ、覚えれば良いのだ。過去は思い出したい事だけ思い出せば良い。



そんな捉え方をしたら、気持ちがものすごく前向きになり、「大丈夫だな」というキラキラと前向きな気持ちになった。


そんな気持ちで父に会いにいくと、最近不機嫌だった父が変化していた。

落ち着いて、穏やかで、「ここは楽しいよ。ご飯は美味しいよ。」などと話すようになった。

私の意識が変わったから、父が変わったんだな、そう思った。
この時、私はパラレル宇宙を移動したんだな、そう実感した。



とても良いスタッフさんに恵まれたリハビリ病院だが、期日が決まっているため、次の施設探しが始まる。

要介護認定5という認定に、ショックを感じなくはない。
しかし、介護保険の手厚さに感謝を感じ、ギフトだと受け取っている。

続きは、またの機会に執筆しようと思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございました⭐︎
無限の愛をこめて。

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 #エッセイ部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?