眺めはとても
バードウォッチングが好きなkitty。
大きな窓から、いつも外を眺め、
ケケケケケ
本能がそうさせるのでしょうが、
人からするとかわいらしい声。
捕まえることはできなさそうな、声。
京都の鴨川周りを飛び回るトンビは、
僕たちの食べ物をさっそうと掻っ攫っていきますが、
ただ飛んでいる姿は優雅でかっこいい。
彼女は初めて彼らの姿を見たとき、
10分ほどは眺めていました。
散歩の途中でしたが、
足を止めて、首をくいっと曲げて。
kittyも彼女もバードウォッチングが好きなようです。
僕はバードウォッチングにそんなに興味はなく、
動かない景色、遠くの山などを眺めているのが好きですが、
彼女はそんな僕を見て、
どうしたの?
いつも心配そうに尋ねてきます。
急にそのスイッチが入るからでしょうね、
何か考え事でもしていると思うようです。
何も考えてはいませんが。
すみません。
あ、でも思うことが一つ。
空を自由に飛ぶ鳥よりも、
じっと腰を据えて構える山になりたいと思います。
短期間だけ自由に飛ぶのは良さそうですが、
腰を据えてひとところで物思いに耽っていたいですね。
読書が好きですし、考え事をすることも好きなので、
そう思うのでしょうね。
妄想
それは最大の娯楽だと母が言っていた影響でしょうか。
僕も賛成しております。
妄想の程度や頻度に個人差こそあれ、
みなさん楽しんでいらっしゃるのではないでしょうか。
どうなのでしょう。
鳥になってkittyや彼女にじっと眺められて過ごす状況を、
少しばかり考えてみましたが、
面白くないですね。
こっちが眺めていたいです。
ほんの短い間であっても、
彼女が僕を眺めているのが分かると、
なに?
と、聞いてしまう僕です。
何も用がないのは分かっていながら。
眺められるのはむずむずしてしまいますね。
いつも。
ひとのことは眺めておきながら。
歳を重ねれば慣れるのでしょうか。
慣れたくはないなあ。
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