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ともに暮らしていくなかで

kittyに限らずだとは思いますが、
基本的に、動いているものか、
音を出しているものか、
そのどちらかを目で追っているように感じます。
窓の向こうをさっと通り過ぎる鳥であったりには、
とても敏感に反応し、
一羽も見逃していないのではないかと思うのです。
僕なんかは、
ああ、なんか通り過ぎたかもね
くらいの意識でしかないですが、
kittyは目で、体で追いかけて、
アスリートのような真剣な表情で、
とても精悍に見えるときがあります。
そのような敏感さと真剣さを持ち合わせたkittyと暮らしておりますと、
たまに入ってくる小さな虫なんかを、
懸命に追うことはなくなりました。
というより、kittyに任せるようになりました。
以前の僕は、家に虫がいることを大変嫌っておりましたので、
目につくと、追いはらうまで諦めることはありませんでしたが、
今は、
kitty、どこにいる?
なんて話しかけながら、
kittyの視線の先を追うようになりました。
そして、kittyが右ブローをかまし始めたら、
Yay good job
そうしてkittyに加勢するために、
ティッシュを片手に歩み寄るわけであります。
チームプレー、というよりかは、
僕の、良いとこ取り、といったほうが正確だとは思いますが、
これも猫と暮らす面白味の一つなんだろうな、
そう実感しております。
当初は、少し頭がかたい僕ですので、
できることを手放して、任せっきりにしているのではないか、
そのようなことを感じていましたが、
一つの目標に向かってともにやる、
というように感じられるようになってきまして、
この、ともにやる、という部分に、
大変な喜びを感じている、今日この頃であります。
家事などにしても、
誰かがやらないといけないことであって、
なおかつ、今、僕ができるのであればやらない以外はないだろう、
そういう使命感のようなものに従ってやっていましたが、
何も考えずに、気づけば、
お皿を洗っている、
洗濯をしている、
掃除をしている、
料理をしている、
そういうストレスのない自然な形で行えるようになってきました。
ああ、やらないといけないのか
そんなふうに煩わしさを感じるときなどは、
素直に、
今日は、今は、やりたくない
脈絡もなく彼女に宣言します。
いつも唐突なので、
Of course it's alright
彼女は笑います。
このようなことは、
各々が持っている、
保ちたい家の清潔さ、
その度合いによるものだと思いますが、
0を基準としたときの、
僕は、2、で、
やらないとな、
そう感じ始めまして、
彼女は、3、で、
そう感じ始めるだけのことなのだと思います。
彼女もそのことを認識しておりますので、
僕が、やりたくない宣言をしたときは、
2、から、0に近づけるよう協力してくれます。
3に至っていないので、
彼女にとっては気にならない状態であっても。
ですから、とても感謝しております。
チームプレーが醸成されていくこの過程を、
ともに暮らす醍醐味の一つに認定したいと思います。
勝手に。
ご自由にどうぞ。
はい。
なんて、いつだって頭の中は自由でございます。
kittyさん、不思議そうに眺めないでくださいな。

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