アンチ知らぬが仏

私は「アンチ知らぬが仏」論者である。

世の中には知らない方が良いこともある、とかいうが、私はそうは思わない。
仮に知らない方が良かったことでも私は知りたいと思う。マトリックスのあの薬も、私は飲むだろうな。

私は真実をできるだけ知って、自分に正しい選択をしたいと思っている。

 私は生きていて、自分で選択している人はほとんどいないと感じる。世の中の人の大半は周りに選択されているのである。

 世の中の大半の人は忙しい忙しいと豪語しそのため知識を取り入れる習慣もない、1人の時間を確保して自分でものを考える習慣がない。

こういう、忙しさを豪語している人達が取る決断は自分で選択をしたというより、家族、友達など、周りの環境に選択されている。言い換えると、上記の人たちは自分の選択権を放棄し、周りの環境に決断されている状態である。

第一ほとんどの人が地元に残って就職している。ただ親がたまたまそこに生まれ住んで、私を産んだのに、必ずしもその場所が私に適しているとは思えない。
たまたま生まれ落ちたその場所が、あなたに適している可能性はどれだけあるのだろう?
よくある、親が地元に残ってほしいって言ってるから、って地元に残るような決断は私はしたくない。自分の生きる選択権を親に委ねていいのか。

他の例として、(私が最近特にびっくりしたのだが)、タバコを吸っている人の動機である。これは私自身の話だが、地元の友達4人で何年かぶりに遊んだ際に、私以外の全員が喫煙者になっていた。その地元の友達にタバコを吸い始めた動機をそれぞれ聞くと、揃って周りの影響だった。私の友人たちは、周りの環境に喫煙者が多いからという、それだけの理由で喫煙者になっていた。
適当に想像すると、一本吸ってみる?という流れになって一本を吸い、その流れで喫煙者になる、という流れだろう。おそらく世の中の人の喫煙者はほとんどがこの流れなのでは。

私が、喫煙者がタバコを吸う動機としてイメージしていたのは、タバコを吸うことをカッコいいと思っていたとか、何かしらの作品に影響されたなどで、自発的にタバコを吸うことを決断していると思っていた。しかし、喫煙者の多くは周りに流されて、喫煙者になった、というケースが多い。

周りに流されて決断したいうケースは、喫煙者に限らず、受験、就職など人生のあらゆる決断にも当てはまる。(周りに流されて良い選択ができた、というケースもあるだろう。)

 タバコに対する個人的見解を挙げると、タバコはお金がかかる、健康にも良くないなど合理的に吸わないという判断をしている。そのため、喫煙者に囲まれて遊んだ時に、自然とタバコ吸う?と聞かれた時に自然と断ったのだが、こうやって自分でものを考え、「〇〇をする、しない」と自分で決断しているような人は世の中にほとんどいないのだ。自分でものを考える習慣のない人たちは、実質的に自分で選択をしていないのである。この人たちの選択の動機は自分の意思というよりも周りの環境の影響が大きいのだろう。

こう思うと洗脳ってできちゃうな、、と思ったりもする。仮にカルト宗教を開いてサクラとして20人程の信者をあらかじめ入れておき、合宿なんかを開いてそこに新参者を入れて2週間も過ごさせたらその新参者はそのカルト宗教の一員となるだろう。

少し話がずれたが、自発的に自分に必要な知識を吸収したり自分でものを考える習慣がなければ、人生において自分に合った正しい選択をできない。正しい選択をするためにはあらゆる前提を疑い、色んな書物を読んで知識を取り入れ、様々な人と議論するなど、自分でものを考える習慣を身につけた上で適切な選択がようやくできるのだろうと思う。
自分でものを考える習慣のない人は、自分に合った選択をすることができない。

でも、生きる上で周りの環境から影響を全く受けないというのは不可能だと思う。そのため、自分ができるだけ素晴らしいと思えるような人達が多くいる環境に身を置く努力をしようと思う。

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