『困っている人にとって、困っている・苦しい状態が"日常"』

こんにちは!
学生助けたいんじゃ-のつなです!
今回は私の想いを書いていこうと思います。

まずはじめに、このnoteを見つけてくださり、ありがとうございます。
日々、たくさんの情報に溢れているこの世界の中で、
私たち学生助けたいんじゃ-の文章があなたの目に止まったことがとても
嬉しく思います。
少し長い文章ですが、ぜひ最後までお付き合いください。

『困っている人にとって、困っている・苦しい状態が"日常”』

「やっぱり、野菜や果物は高くて買えないですね…」
「コンビニにあるデザートを買うとか、ちょっとした贅沢がしたいですね」

これらは「たべものカフェ」に来てくださっている、静岡県立大学の学生の言葉です。これらの声を聞いた時、私は何も言葉を返せませんでした。
これらの声の主である学生は、何かを我慢する毎日を私が知るずっと前から重ねていたのです。

我慢が続くと、当たり前が変わってきます。ケガをしていてもその痛みが当たり前になると、そのケガを治療するために「人に助けを求める」ということを思いつかなくなります。

助けを求めないことが当たり前になると、ケガは治りません。

だから、私たちは、彼らを独りにしてはいけないんです。

「困っている学生がひとりでもいる」、
「たべものカフェを必要としている学生がひとりでもいる」
ことが問題なのです。放っておいてよい人はいません。

たしかに、現状から目を背け、見えないフリをすることの方が
はるかに楽です。
「知らなかった」と言えば、
誰もあなたを咎めることはしないでしょうから。
でも、もう、私たちは知ったのです。

今、私の力は非常に微力です。
困っている学生の話を聴くことしか私にはできません。

皆様の力をお貸しください。
困っている学生がいることを知ってください。
見ないフリをしないでください。
私たちと一緒に、この現状と向き合ってください。

私たちの言葉や活動が、あなたの心に引っかかる「何か」になることを願っています。

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