悔しさ

静岡県立大学で学生の貧困に取り組む団体「助けたいんじゃー」唯一の教員メンバー「縁側のネコ」である。

学生の困窮に取り組む活動をしている学生たちに「悔しい」と言われることがよくある。

「お話を聴くことはできるが、その人の貧困を解決できない」
「頑張っているのに、なかなか大学は変わらない。私たちに何ができるんだろう。」

彼らは自分の力不足に対して悔しいのだ。

でも、本当は彼らを悔しく思わせているのは、こうした活動を否定する(一部の)大人である。

彼らは言う。

「友だちを助けたいだけなのになんで否定されるんだろう。」
「この活動なんかやめた方がいいなんて言う大人がなぜいるんだろう。」

大人の端くれの私は、「大人にもいろいろな人がいるんだよ」といった、煮え切らない答えを返す。

本当は、彼らに、「できることとできないことはあるけど、大人ってみんな誠意があるんだよ」と思ってもらいたいけど。

「大人にもいろいろある」と知った彼らは傷つくし、一層悔しい思いをする。

そうだよ、悔しいよね。とっても悔しい。

それでも、彼らは言う。

「でも、知ったんで」。「伝えます」。「仲間がいます」。「歩み続けます」。

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