推し事にも休暇を。

あれから、どのくらいの時間が経ったのだろう。

初めて「推し」ができて、推しと過ごしてきた時間は、かけがえのない物となった。

その反面。
「推し事」に疲弊してしまうこともある。

コンカフェに通って、コンカフェ嬢のことを本当に好きになってしまうこと。

それは儚く、叶わぬ夢。

いつしかそんな夢を叶えたいと思っても、叶うことのない、どうしようもなくもどかしいこの気持ちは、例えるならサービスエースを打ち続けているような感情である。得点は次々に加点されていくが、試合としては、ラリーが続かないと、どうも寂しく満たされない気持ちだ。
いつも一方通行である事を再認識する。

私は今、そんな感情に陥っている。

コンカフェは出会いの場ではない。
そんなこと当たり前で当然で必然。

私は「客」で、推しは「キャスト」
なのだから。

この当たり前のことが、
当たり前と思えなくなってしまう。

コンセプトカフェの怖い所はこの依存性と錯覚。

推し事を辞めることはいつでもできる。

何度も辞めたい、そう思った。
だが実際には辞められない。

推しの笑顔が見たい、
一緒に過ごす時に幸せを感じているから。

なにが正解で不正解なのか。
答えなんてないこのコンカフェ業界。

自分らしく、推し事に夢中になって、
色々な事を考えるのも、人生の中で、
小さく大きな物語として刻まれていく。

たまには、

   推し事に休暇を取っても、
        いいのではないだろうか。



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