1人木鶏会

引越しと実家の片付けが少しずつ落ち着いてきて「致知」をまた読めるようになりました


致知1月号


教育の根本は愛にあり

平野卓球センター監督 平野真理子さん
はなまる学習会代表 高濱正伸さん の対談


この中の高濱さんの言葉が、今PTAの活動をしている私の中に刺さりました!


まずはこちらです↓


子供たちの多くは言われた事はやるし、優しい。だけど、強い意思がなく壁にぶつかるとすぐに諦めてしまう。知識を詰め込むだけの教育ではそんな大人を量産するだけではないか。これからの教育に必要なのは、子供たちが自ら考え、未知の分野や、自身の弱い部分に立ち向かっていくための意欲や思考力、人間関係を築く力を育むことだと考え、メシが食える大人を育てようと思い至りました。やはりこれだけ引きこもりの人数が多いのも、現状の教育に何か問題があると言うことだと思うんです。だからこそ、子供たちの生きる力を育むために日々子供たちと向き合っています。



そうなんです!

知識を詰め込むだけの教育
今までの学校教育はそのようなものだったと思います。
その中でもいろいろなことがあり、勝手に人間として成長できていた。
昭和世代の私

けれど、平成、令和の子供たちは守られているゆえに、いろいろなことを避けているように思います
いろいろなことがあり、子供たちを守ろうと大人たちが考えてそうしていったのだと思いますが、それで良かったのかと思うことが多々あります。


この他にも、高濱さんの言葉にこのようなものがありました↓


専門的に言えば、プロジェクトと言う枠の中に入れることですよね。その過程で挫折や仲違い、ぶつかりもあるでしょう。それを乗り越え克服すること全てが勉強になる。僕もスポーツって人間形成にものすごく大きな役割を果たすと感じて重視しています。勉強は絶対に大事ですが、最近は教えるのがうまい人の授業はネットで視聴できますよね。本気で勉強しようと思ったら全部画面越しでできてしまう。では集まる意味は何かそれこそが社会に出たときに必要になる「生きる力」を育むことだと思うのです。



子供たちに生きる力を育むためには、挫折や方がぶつかりも必要

試練も必要
大人から見て避けてあげたいことは
実は必要なことで
そこから行き過ぎた結果
残念な結果になってしまったことに
注目がいき
必要以上に子どもたちを守り過ぎて
弱くしてしまっているのではないか?
と思うことがあります。

避けるのではなく
教師、保護者の目を養う
覚悟をする
大人が成長する選択はなかったのでしょうか?
ほどほどのよい加減で
自分を追い込まず
そのように大人が成長できないのでしょうか?
責任のなすりつけあいなどではなく
一人一人が自己教育をしていこう
という思いを持つことはできないものなのか?

人生の大事のために

致知を読み
さまざまな方達の
大切な言葉を魂に刻むことができる時間は必要だと思い至りました。


まだまだ実家の片付け
引越し先の片付けもありますが
少しずつ読み進めて行きます😊

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