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【私は上手にうそをつく】

全て本音で話す人はいないだろう。
大なり小なり、人はうそをつく。

うそにも種類があって、あわててつくうそは失敗する。だから念入りに。

🌲うそにもいろいろ

「うそをつくとえんま様に舌を抜かれる」
「うそから出たまこと」
「うそつきは泥棒の始まり」

うそにまつわることわざは多い。
大抵が、悪いことを表す。
それは当然、ついていけないうそで。

私のうそはついていいうそ、
「うそも方便」
「見て見ぬふり 聞いて聞かぬふり」
の方だ。

誰もがついているうそは、人を傷つけるうそとそうじゃないうその2つにわかれる。

☘️人を傷つけるうそ

明らかに人をだますうそは論外。

しらじらしいうそとでも言おうか。その場しのぎのうそとでも言おうか。
そのうそはすぐわかる。

例えば、「大丈夫」と言う言葉。
「あなたなら大丈夫」って言われても、
「ありがとう」って返事はするけれど、
相手のことはあまり考えていない、あいさつ程度の無責任な言葉。

例えば、心配しているような言葉。
心配しているふりをして、
触れられたくないところまで入り込み、
聞き出そうとする。

例えば、やたらにほめちぎる言葉。
私のどこまで知ってるの?って思う。
人にほめられるって嬉しいはずなのに、
それも度を過ぎると、
それは本心ではないのだろうと思う。

例えば、聞いた話を勝手な解釈で人に伝える言葉。
「たぶん、そうなんじゃない?」とか、
「あの人そういう人だよね」とか。
いつの間にか、そのあいまいな会話が事実になって伝わっている。
そういう人は八方美人の人。
あっちとこっちで話すことが違う。
うわさ話が大好きで、まわりまわって伝わってきた頃には、人を信じられなくなるくらいの話になっている。
「私はそういうつもりでは言っていない」と言い訳をする。

うそは日常的にある。

☘️ついてもいいうそ

例えば、「大丈夫」と言う言葉。
自分が不安なときに言い聞かせ暗示にかける。

「大丈夫?」
とタイミング良く声かけしてくれる人には、
大丈夫でなくても、
「大丈夫」
と返事をする。

例えば、心配している気持ちを隠して、
見て見ぬふりするとき。
共感することは大切であっても、同調することで、かえって相手の不安が強まることもある。
相手のことを考えたら、安易に同調はできない。
バランスが大切だ。

例えば、ほめ言葉。
その人の良さを探してほめる。
負に気づいていても触れないときもある。
できればその人が負と感じている部分を、正に感じられるようにほめることができるとなおさら良いが。
その人が本当に達成できるかはわからないけれど、達成しようと頑張れるようにほめる。

例えば、人を見かけで判断するくせは誰でもありがちな話。
「あの人怖そう」
そう思うとたじろぐ自分がいる。
それでも話しかけないといけないときは、自分の気持ちにうそをついて、役者になる。
不安な気持ちは一切ない顔をして接する。

ついていいうそとそうじゃないうそは、いつも裏腹だ。

🌲うそも方便

子どもの頃、うそは絶対ついちゃいけないと思っていた。

ピノキオのように鼻が伸びるんじゃないかと少しだけ思ったこともある。

今思うことは、生活する中でうそは大事だということ。

上手にうそをついて暮らす。
何しろうそだらけだから。
別に悲観的になっているわけではない。
むしろ、真剣に大事だと思っている。

自分に正直過ぎる人、うそは良くないと根っから考える人はこのうそがつけない。

正直になり過ぎるがために、相手を傷つけることがある。
「気づかないふりをして、ここぞと言うときに口を出す」これが理想だ。

このうそを上手につくには、「相手の顔色を見る」ことができるようになると1番良い。
でも…相手の顔色ばかりうかがっていると、それはそれで疲れる。
この人が大事にしていることが何なのか軸にしている考え方がわかると、全て肩に力を入れて話す必要もなくなり、自分も楽になる。

そういう感覚って、たくさんの人と話して失敗を繰り返さないとわからない。
だから当然その過程で相手を傷つけてはいる。

「うそも方便」は相手を思いやりつくうそだ。

🌲これからも

こんなこと書いているから、私は間違いないなんてことはなくて。

日常的に人と接する仕事だからこそ、うそのバランスを意識している。

相手が馬鹿にされていると感じる言葉は、絶対にいけない。

自分を追い込み過ぎる言葉は自分で辛くなるから、言い聞かせる程度の励ましを自分自身にしている。

これからも、上手にうそをついていく。






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