たかが栗で心がモヤッ…モヤモヤモヤッ
我が家には栗の木がある。
早生(わせ)の栗は見逃したが、やっと重い腰を上げ晩生(おくて)の栗拾いをした。
めまい持ちの私には、栗拾いは辛い。上ばかりも見れないけど、下ばかりも見る事が出来ない。頭がクラクラしてきちゃって「あー無理。もー無理」と言いながら頑張った。栗を待っている人がいる限り!私は手を止めることはしないのである!栗は大好きだけど自分の為だけじゃあ、とっくのとーに止めてるわぁぁぁ。
結局、バケツからはみ出るくらい拾った。そして、倒れた…。上を見上げるとまだまだ成っている。喜ぶべきなんだろう。自然の恵みというくらいなんだから。ならば拾わなければ済む話と言われれば、それまでだ。
滅多に人が通らない場所だけど、たまに知らない人が道路に落ちた栗を拾っている時がある。家から離れてはいるが、屋敷内。ばったり会うと、あっちも気まずいだろうけど、こっちだって十分気まずい。「どうぞどうぞ〜」と言っていいのか悪いのかいつも本当に迷ってしまう。
旦那はそういう事に寛容で、家の前の田んぼにイナゴ捕りが居ても気にしない。私はさすがに、家の前は嫌だなぁと思う。
どうせ食べきれないし、拾いきれないし、ほっといたら我が家の車にひかれてしまう。誰かが採って食べてくれた方が嬉しい。嬉しい??何だか心がモヤッとした。例え落ちて散乱していても盗っていかれるのは、やっぱり気持ちが良くない感情がムクムクと顔を出した。旦那と違って心が狭いだけなのか?物欲が強くて束縛心が強いのか?強欲クソババアがまた顔を出したのか(笑)
勝手に持って行く…
突然、栗が落ちている場所が私の心の中のように感じた。知らない人が土足で踏み込んでくる。勝手な事をされるのが嫌なだけなのかもしれない。何されてもいつも笑って誤魔化して来たけど、本当は嫌だったよね。
気を取り直して、近所の人に電話をした。2軒に栗を届ける事になった。1軒は80代夫婦ふたり暮らしだったから茹でた栗も持って行ったのだが、ここでも心がモヤッとした。何を思ったのか塩を入れ過ぎてしょっぱい茹で栗が出来上がってしまった。その時は「まっいいか♪」と気にせず持って行ってしまったが、その後からモヤモヤが治まらない。今度は、余計な事をした自分が嫌だった。塩を入れ過ぎたのだから持っていかなければ良かった…。実は1日たった今でもクヨクヨしている。余計な事をした。余計な事をした。余計な事をした。思えば、よくこの思いにやられる。
余計な事
勝手な事
これが嫌なんだろうね私。じゃあ何で嫌なのか?
体が疲れ切ってしまい、深くは考えられなかった。栗を届ける道中沢山の秋を感じた。
ススキ、黄色い稲穂、稲刈り跡、そして赤い彼岸花。どこを見ても秋だ。しょっぱい栗に囚われたままでいても、時間は確実に動いてて、私を置いてけぼりにする。ヨシッ!また栗も沢山落ちているし、栗拾いをしたらこの前見た小さなアケビの成長を見に行こう。鳥に食べられているかもしれないけど、それはそれで楽しみだ。
それにしても栗拾いは私の体にこたえる。
なのにまた電話してしまった
「泰子でーす♪栗入りますか〜?」
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