内観「もう家族の為に何もしたくない」
さすがに今回は閲覧注意になるかもしれんなぁ
「もう家族の為に何もしたくない」
こんなこと口に出して言うことじゃない。自分で言っときながらとても怖くなってしまった。
でも、娘からのラインで心がざわつきハッキリそう思ってしまった。娘のラインはいつもタイミングよく揺さぶりを掛けてくる恐ろしいヤツなんだ…。
ドラマ西園寺さんは家事をしないの最終話で、心を鷲掴みにされ涙を堪えるのに必死になった。旦那と息子がその場面で急に箸を止め真剣に観ていた。2人に涙は見せたくなかった。あの時の私は2人に本心を知られたくなくて落ち着かなくなっていた。息子は勘がいい、きっと気が付いただろうが珍しく一言も発しなかった。この最終話で主人公西園寺さんの母親がなぜ家族を捨て出て行ったのか、その理由を語った。今思い出しても苦しくなってしまう。
心がザワザワして落ち着かなくなっていた時に、娘からのライン。何とか抑えていた感情が溢れ出してしまった。
心の叫び「私に面倒かけないで欲しい」「私に頼らないで欲しい」「私を当てにしないで欲しい」「私を自由にして欲しい」「私は私を生きたい」
52歳ここまで夢中で走ってきた。心に余裕なんてなかった。家事もやりたいとかやりたくないとか、そんなのどうでもよくて、やるしかなかった。家事?いや…いつの間にか私の中では、もはや世話係りやお手伝いさんの気分だった。子供達が手を離れ、何かやっと世話係りから解放され気が抜けてしまった。これで仕事でもしていたら、忙しくてそんな事を考える暇もなかったかもしれないが、あいにく強制終了中。でも世の中に偶然はないと思っているから、暇なこの期間にしっかりと自分と向き合いなさいというメッセージだと思って覚悟はしている。
私の心の叫びとは裏腹に、世話係り、お手伝いさんと自分自身を位置づけていたから、現実もそうなっていった。旦那が母親を母ちゃんと呼び、私の事まで母ちゃんと当たり前のように呼んだ時は、もう終わったな…と正直思った。私はあなたの母ちゃんではないですよ。何度言ってもそう呼ぶ旦那。それでも何とか自分を誤魔化して考えないように逃げていた。
でもいよいよ嫌だって、それじゃあもう我慢できないって心が叫んできた。
「私に面倒かけないで欲しい」「私に頼らないで欲しい」「私を当てにしないで欲しい」「私を自由にして欲しい」「私は私を生きたい」
地球で生きている全てのモノには集合意識があるらしい。どれ程の人間が……う〜ん私の感覚ではやはり女性が多いい気がしている。定年を迎えた夫婦2人暮し、私のように子育てに一区切りついてボソッとした人なんかの集合意識と繋がって、ますます私の心の叫びの声が大きくなっている気がする。皆と一緒に解放出来たら私も心強い。
本心は「もう家族の為に何もしたくない」のではない。まだ何をしたらいいのか、何をしたいのか分からないけど「自分を生きたい」これが本音だ。
自分を生きるって、
好きな事や心がウキッとする事…なんだろうけど何かな??まぁ自分を大切にするって事でもあるんだろうね。でも安心した。閲覧注意になるくらい暗いオーラを纏うと思ったが、ただ自分を生きたかっただけだった(*˘︶˘*).。*♡
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