存在の中性の詩

 私の自我は、ある特定の『意味』をもつ。それは精神の黒い学説か白い学説か?端的に言って苦しみか楽しみか?生命に対するおぞましげな感覚を抱く、私の自我、コギトーは脆くも崩れ去りただ中立的な理性だけが残った。それはあまりに形式的すぎるだろう!

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