見出し画像

6月のベランディズム

 2024年に入り、早5か月を過ぎ、もはや一年の半分を過ごそうという今日この頃。薫風に心躍らせ、来る夏の予定に向けて着々と準備を進めているなか、私はある一つの発見をした。表題にもある、「ベランディズム」である。
 
 さてこのベランディズム。果たしてこの言葉は一体なんなのかと問われると、大して意味はないのである。
 
 私の造語だ。ただのベランダで過ごして穏やかに過ごそうということ以外に大した意味はないのである。私は、ベランダや窓際という場所が好きだ。そこにいて何か物思いにふけっているだけで、意味ありげで雰囲気がでる。とくに夕飯時をすぎたあたりが最も気持ちいい。窓際やベランダの柵にコップ一つ、時が許せば煙草を手元に延々と物思いにふける。ゆったりとした音楽なんかを流すのもよい。そうして小一時間過ごしていると一日の色々が体の中を駆け巡っていく。
 
 少しの感動と反省、仲のいい友達の顔、許せないやつの顔、この間の飲み会、見たかった映画、読みたい本、自分の将来、家族の将来、明日の予定、忘れていた約束……
 とにかく色々である。そうしてほんのり満足して、風呂に入り、布団に入るとすんなり眠れる(それでも忘れられないことがあると寝付けないけれども……)。
 このベランダの一幕は、人生や人間関係という複雑怪奇な事柄から一歩引いて、私を一人間へと引き戻す作業だ。この作業がなければ自分という人間の立ち位置を忘れてしまう。立ち位置がわからなくなると突然に自分の中の怠惰で、愚かで、醜い動物的衝動が顔をだして、余計なことをしてしまう
(余計なことが何かはあえて語るまい)。
 
 とにもかくにもこのベランディズムの実践にあたり6月というのは天敵である。
 そう、梅雨だ。雨が降ってしまえば、窓際のコップも、くゆらせる紫煙もすべて台無しである。風があればコップに雨水は入るし、湿度でタバコはすっかりしける。おまけに窓なんか開けてしまえば自分は濡れるわ、部屋も濡れる。こんなことでは到底、穏やかな心は取り戻せない。いやむしろ逆にストレスの源だ。はてさて困った。どうやって実践しようか、というのが目下の悩みの種である。ちなみにいまだ答えは出ていない。というかどうにかしてくれよ、というのが今回の主題。

 当然わざわざ濡れるようなことをするなというのが一番の答えであろうが、いかんせん大事なのはベランディズムの実践である。「ベランディニストたれ」ということだ。
 これを読んだ皆々様には、ぜひ6月のベランディズム実践のヒントをいただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?