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去り際に残すもの


 日本には様々な記念日があります。偉人の誕生日にちなむもの、歴史の重要なイベントの日付にちなむもの、その数字の羅列の形にちなむもの……。とりわけ、語呂合わせで決まる記念日というものはくだらないと一笑に付してしまうものですが、どうしてか、あやかりたくなる不思議な魅力を持っているものです(かくいう私もその一人ではあるのですが)。
 これを書いているのは6月9日ですが、これはそのまま「ロックの日」になります。どうやら「LOCK」とも「ROCK」ともなるようですが、わたしにとっては、「ROCKの日」です。
 バンドマン・ミュージシャンはこれにあやかり、Xで自身の楽曲をリツイートしていらっしゃいました。話ついでに、Xでリツイートされていた楽曲のMVのURLを残しておくので、気になる方はぜひとも。ほんの少し懐かしいテイストで私は好きです。


キテラクラブ - 「人生」MUSIC VIDEO
https://youtu.be/esG_Q6A-FJE?si=Qsu8qmvQYamXvzRF

 さてこの日、私は「ROCKの日」にあやかるために知人のライブに遊びにいきました。ステージ上でのパフォーマンスと普段の様子との違いに多少面食らいましたが、十分に楽しませていただきました(次いでにこちらもURL残しておきます)。

新・根性論/タナカノコハル

 

 ことはその去り際にありました。ライブは10組ほどのアーティストの演奏がありましたが、後の予定がつかえていたこともあり、知人の出番終了後、先に帰宅する流れとなったのです。そこで私は、パフォーマンス後の知人に一言かけ、帰路につきました。この別れ際・去り際に私はふと一考の余地が生まれたのです。特別なにかおかしな別れ方をしたとかそういうわけではありませんが、ふと「どのように別れるか」、「どのように去るのか」に意識が向きました。
概して別れ際・去り際というものには、「さようなら、また会いましょう」という約束をしてしまうものだと思うのです。その約束にも多々意味合いが付されるとは思いますが、形式的に言ってしまうものだと思うのです。さりとて、形式的にとはいえその「去り際」に立ちあった時、なにを残すのかということが非常に重要な気がしてしまいました。
例えば、ホテルや旅館のチェックアウトをするとき、ホテルマンや仲居さんは宿を発つ客の後姿が見えなくなるまで頭を下げるといったことがありましょう。そうして客側もまた、見送ってくれる方を振り返り再度頭を下げる。この言外のコミュニケーションによって、相互の強い縁がうまれるのだと感じます。
 話を戻せば、私は去り際に何を残したのかということです。とりわけ、私の都合で演奏後の知人と話をする時間はあまりとれず2、3言言葉を交わしたにすぎませんでした。しかし、心には伝えたいこともあるが話ができず、歯がゆい。去りがたく、かといって去らねばならぬ事情もある。そんな折に私が残すことができる言葉は、姿勢は何だったのかと思うのです。「ありがとう、いいライブだった、また来るね」それではあまりにも浅薄で紋切り型過ぎる。かといって、「あの曲はあれがよかった。この曲はここがよかった」等と当人に語って別れても居心地もよくなかろうし、素人の私が語ったところでなんら意味をなさないような気がします。結果私が選んだのは、「また来るからね、今日はありがとう、本当に良かった」という月並みな言葉となってしまいました。これほど自身の語彙のなさを、機転のなさを恨むことはありません。知人にもう少し気の利いた、胸のすくような言葉を言えなかったものかと非常に心残りではありました。しかして、何も残さないことも必要だとも思いました。知人もまた出番が終わりとはいえ、仕事中。無駄に気をもむこともまた無粋とも考えました。結局あの場では、こちらの事情・あちらの事情で「ありがとう、また来るね」が正解だったのかもしれません。
 とはいえ、別れ際・去り際の一幕にはこちらとあちら、私とあなた、彼と彼女の関係性の中で積み上げられた無数の言葉の山と事情を鑑みて、再開に向けた小さな口約束を残しておくことが、人間の縁をぼんやりとつなげておいてくれるのかもしれません。

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