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授業を聴けず宿題もしない、整理整頓も出来ないADHDでも、京都大学に入ることはできる。 【ADHDは高学歴を目指せ】

 2.

 ADHDである僕は。
 高校までの勉強は何とかなりましたが。

 専門的な勉強は、一切出来ず。
 実務的な仕事も、失敗ばかり。

 大人になってからは、挫折ばかりの人生でした。


 それでも。
 「高校生以下の子供に勉強を教える仕事」だけは、どうにか一人前になれました。

 高校以下の勉強は得意であること。
 学歴があるため、過剰な高評価を得られること。
 内面が幼いため、子供の感覚が良く理解できること。
 会話が中心であるため、退屈しにくいこと。
 相手する生徒や家庭が、頻繁に移り変わること。

 それらのアドバンテージがあったおかげで。
 失敗を繰り返しながらも、見捨てられることなく。
 同じような作業でありながらも、飽きることなく。
 
 長く働くことが出来。
 成長が遅いADHDの僕でも、何とかお金を稼げるレベルに達したのです。

 そうして、子供を教えることを生業としている中で。

 「勉強」に対する考え方について、僕と世間との間に、大きなギャップがあることに気付き。
 当惑し混乱することが、何度も何度もありました。

 まず、何より。
 保護者から、よく言われるのです。

 ――先生は学校の授業をちゃんと聴いたでしょう。
 ――先生は予習復習をきっちりやったでしょう。
 ――先生は計画立てて勉強したでしょう。
 ――先生は休みの日も早寝早起きの規則正しい生活をしたでしょう。
 ――先生は整理整頓もきちんとされたでしょう。

 ――そうすれば、良い成績が取れて、良い学校に行けて、良い会社に入れて、良い暮らしができる。
 ――そういったことを、子供に伝えてやってください。


 そうですね、と僕は答えるのですが。

 腹の底では。
 ――とんでもない。

 としか思っていない。


 そもそも。
 確かに僕は、良い成績を取り、良い学校に行きましたが。
 良い会社に入れていないし、良い暮らしも出来ていない。

 ただ、その点に関しては。
 そもそも、『良い会社に入る』ことへの憧れなど、一切持たなかった僕からすれば。

 散々苦労したものの、冒険に満ちた僕自身の人生は、十分に満足できるものであるのも確かで。
 そんなことが出来たのも、ある程度他人から認めてもらえるバックグラウンド=『学歴』があったからであるのも確か。

 つまり、『良い成績を取ったら、良い人生を送れる』というのは、僕自身に関しても、決して間違っていないのでしょう。

 だから、『勉強は大事だ』ということは、心を込めて語ることが出来ます。


 けれども。

 『授業を聴く』『予習復習をする』『勉強の計画を立てる』『整理整頓』『規則正しい生活』。

 これらに関しては、説得力を持った話が一切出来ません。


 ADHDの僕は。

 すぐにぼんやりしてしまうために、一時間を通して授業をきちんと聴けたことなど、小中高大通して一度たりともない。

 授業を聴いていないから、進度も分からず宿題が何かすらも分からない。余裕復習などとんでもない。

 計画を立てることすら殆ど出来ないし、万一立てたところで、それを守れる筈もない。

 夜更かしばかり、寝坊ばかりの生活。
 部屋はゴミだらけ。

 親がすべてを管理してくれた小学校時代を除き。
 その後一貫して僕は、そんな学生生活を送っていたのです。


 だから。

 勿論、授業は聴いた方が良いに決まっているし、予習復習も計画立案もきちんとした日常生活も、出来た方が良いに決まっているのですが。

 実感を持って、それらの重要性を語ることは出来ないのです。



 けれども。

 では、それらのことをせずに、京都大学に合格するだけの学力を身に着ける方法とは、何なのか。

 生徒や、保護者に対して。

 自身の経験に基づき、それらのことを実感を込めて語ろうとしても。

 これがまず、上手くは行きません。


 共感を得られることが、一切ないのです。

 大概、言われるのはこうです。

 ――先生は、天才ですから。


 その言葉には、実感を持ってこう答えます。

 ――とんでもない、と。


 本当に、とんでもない。

 僕は、本物の「天才」を、数多く見て来ています。

 彼らは、幾つかの欠陥があろうが、やるべきことはきっちりやる人達です。
 少なくとも一つの分野に関しては、『プロ』として、素晴らしい成果を出し続ける人達です。


 何とか大学に合格しながらも、『幼稚園児並みの知能だね』『うちの大学の恥だね』と教官に言われ。
 何とか入った会社では、『幼稚園児並みのことも出来ない』『給料泥棒』と先輩に嘲笑され。

 会社を作れば、全収益も会社の権利も、ものの見事に横領された。

 成果を出せたとは言っても、それはあくまでも、スタートラインに立てただけの話。
 肝心の『プロ』としての仕事に関しては、一切結果を出せなかったこの僕が。

 『天才』などである筈がないのです。


 ただ、それでも。

 それほど勉強もせず、灘中に合格し。

 その上、高校時代は系だったのに、塾や予備校にも通わず、家庭教師もつけず、完全な独学で、京都大学の理系学部に合格した。

 所詮『学歴』レベルのことではありますが。
 他に聞いたこともないようなことを実現出来たのは、事実です。


 だから。
 僕は、『天才』ではありませんが。

 『異能』である、と言っても良いのかもしれません。


 そして。
 残念ながら、僕のその『異能』は、ただ受験勉強に活かすことしか出来ませんでしたが。

 もしかしたら――何かのきっかけがあれば――、他の『プロ』としての仕事に、うまく活用出来たのかもしれない。

 もしそうだとしたら。

 ADHDとして、似たような特質を持った子供が、なんとかこの『異能』を得た上で。
 それをうまく活用して、『プロ』としてうまく生きて行くことが出来るのかも知れない、と思いますし。


 そうでなくとも。
 そもそも、重度のADHDの子供にとっては、学歴が得られるだけでも、それは大きな武器になることです。

 だから。

 ADHDの子供達には、『異能』を目指して欲しい。

 授業を聴けなくとも、宿題が出来なくとも、整理整頓が出来なくとも、良い学歴を得られるようになって欲しい。


 そう、心から願うのです。

 
 そこで。
 何故、ADHDのこの僕が、『異能』になれたのか。

 その点について、細かく書いて行くことにします。

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