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読書をしすぎたせいで、チベットを目指すことになったADHD 【ADHDは高学歴を目指せ】

 7.

 授業も聴けない、集中も出来ない、計画も立てられない・守れない。
 そんな僕が、何故独学で京都大学に合格出来たか。

 ここまで、娯楽が一切ないという幼時環境の特殊さから、『勉強が楽しい』=勉強にのみ『過集中』できたことと。

 勉強に関してのみは、早いうちに『自分がミスが多い』という自覚を持てたため、『常に自分を疑い、チェックをする』という習慣を持てたこと。

 それらによって、義務教育範囲内においては、優秀な生徒になれたのだ、と書いて来ましたが。

 重要なのは、そこから先です。


 それまでの熱心な勉強の為だけでなく、既に灘中で首位を取り続けていた兄がいたお陰で、合格点に多少足りなくても、優先的に『補欠合格』させてもらうことが出来、無事に灘中生になれたのですが

 中学入学と同時に、僕は勉強を放棄するようになります。

 中学一年で中学範囲を終わらせ、二年・三年で高校範囲を終わらせるという灘中教育。

 そもそも最下位合格の僕が、授業も聴けない、宿題も出来ないADHDの僕が。

 ただ、高度な幼児教育+見直しが得意であるという技能、その程度の武器で、その進度について行ける筈もありません。

 それに加えて。

 小学時代、田舎で、勉強しかない生活を送っていた、そもそも刺激の弱いADHDの僕が、
 一人きりで、大都市・大阪を通って、大都市・神戸まで通う――様々なものに、目移りしない筈がない。

 そもそも臆病であるがために、いわゆる非行に走るようなことはありませんでしたが。
 ゲームをはじめとした、娯楽が脳を占めるようになり。

 一切、勉強に意識が向かなくなったのです。

 そうして僕は、中高六年間を、ほとんど勉強をせず、低空飛行で過ごしたのですが。


 それでも。

 十八歳の僕は、地方の国立大学の文学部に合格することは出来ました。


 その要因は、一にも二にも、国語力にあるでしょう。

 他教科の点は壊滅的だった僕も。
 国語だけは、灘校平均程度の得点は、取れたのです。

 何せ。
 刺激に弱い僕は、確かに、刺激的なもの=ゲームに耽溺しましたが。

 お小遣いも乏しく、アルバイトも出来ない僕は、お金を殆ど持っていない。
 家庭用ゲーム機も、携帯用ゲーム機も、持つことは出来なかった。
 昼食を我慢して貯めたお金を、ゲームセンターに持ち込む以外に、ゲームをする手段はなかったのです。

 そうなると。
 教師の話も聞けないし、与えられた問題も理解出来ない、そんな退屈きわまりない――ADHDにとって苦痛に満ちた『授業』をやり過ごすには。
 或いは、帰宅後、そりの悪い家族と顔を合わさず、殆ど何もない自室で時間をやり過ごすには。

 学校をさぼったりする等の不良行為をする勇気もない、臆病な僕には。

 ゲームと違いお金のかからない、けれどもある程度刺激的な娯楽がなければならなかった。

 それは、『読書』しかあり得なかったのです。

 ただでさえ、一クラスに六十人ほど詰め込まれていた上に。
 放っておいても、どうせ皆勉強するので。
 授業をする教師は、生徒一人一人に殆ど目を配らない。

 学校にはそれなりに大きな図書館があった。

 部屋にゲームや漫画があれば、必ず没収・廃棄する両親も、図書館の本に対しては、流石に捨てたりは出来ない。

 そして、娯楽のない幼児期を過ごしたお陰で、活字にはかなり慣れている。

 幾らでも本が読める環境でした。


 さらに。
 エリート揃いの中で、一切勉強の出来なかった当時の僕は。
 それでも、自分の価値を主張したくて。

 普段は、SFやミステリー、歴史小説など、比較的軽めの作品を好んで読んでいても。
 級友の前では、見栄を張って、文学作品ばかり読んでいた。

 勿論、その多くは、比較的退屈なものでしたが。
 より退屈な授業を聴いていたり、長時間の通学列車の中でぼんやりしているよりも、活字を追っている方がずっと楽。

 我慢して読んでいる内に、楽しくなってくる作品も結構多く。

 気付けば、僕は十代の内に、かなりの数の文学作品を読破していたのです。


 しかも。

 退屈が大嫌いなADHDである僕は。
 どんな本を読んでいる時も、いち早く先の展開が知りたくて堪らず。
 常に『飛ばし読み』をしてしまう。

 そのせいで。
 気付いたら、いつ出て来たか記憶にないような登場人物や、いつ起こったか覚えていないような出来事が、話の中心になっていたりすることがしょっちゅうあるのですが。

 それに一向に構わず。
 分からないところは全て、適当な想像で埋めて、さらに先に進むのです。

 だから、読了した際は、肝心な部分の読み落としや、そこから来る内容の勘違いがあるのが常なのですが。
 一切問題はありません。

 お金はないが時間だけはあった当時の僕は、同じ本を、何度も何度も読み返すからです。

 そうして、本の内容をきっちり理解するのです。

 そういう読み方をすることで。

 本の内容に関する知識をしっかり得られるだけでなく。
 テストで高得点を取るために必要不可欠である、話を類推する力や、速読の力などまでが、図らずとも、どんどん磨かれて行ったのです。


 こんな具合に。

 他の生徒達が、色んな教科の勉強に勤しむ間。
 僕は全ての時間をかけて、読書という、国語の勉強をしていた訳ですから。

 濫読に過ぎないせいで、系統立てた効率的な勉強ではなくとも。
 読書するだけですから、論理的な文章を書く力は伸びなくても。

 国語のテストで得点する力が伸びたのも、当たり前の話なのです。

 結局の所。
 十代の僕は、ゲームやスマートフォン等の、刺激的な娯楽が入手できない環境に生きていたお陰で。
 ADHDの僕も、一教科だけであるとはいえ、学力を伸ばすことが出来たのでした。


 ただし。

 この読書漬けの日々にも、弊害はあり。

 僕は、人格形成に関する多くのことを、『家族』『友人』からなどではなく。
 現実社会からですらなく。

 『本』に登場する人物達から学んでしまった。


 そのせいで。
 『無欲でなくてはならない』『勇敢でなければならない』『勤勉でなければならない』といった、高潔すぎる信念を持った大人になってしまい。

 けれども、本質的には、高潔どころか、ただの欲深で臆病で怠惰な人間であったせいで。

 普段は卑劣で怠惰な行動ばかりする癖に。
 その一方で、常にそんな自分を恥じ続けることになり。

 その鬱屈が爆発して、突然、チベットをヒッチハイク横断してみたり、無一文で台湾に移住したり、その台湾で起業したり、余裕もないのに縁のない相手に一千万円もの寄付をしたりする。

 そんな、奇妙な行動ばかりする大人になってしまったのです。


 それはさておき。

 その環境のお陰で、『国語』だけは、出来るようになった僕ですが。

 折角入った大学を中退した後。
 独学での勉強を始め。

 一年後、数学・英語・理科・社会も出来なければならない、京都大学の理系学部に合格するのです。

 どうして、それらの教科まで出来るようになったのでしょうか?

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