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感謝のゴールはどこ

感謝することはお互いに良いことだ。
ぜひ人類全員がお互いに感謝してほしい。
ただ、実際に感謝する対象は人とは限らない。
モノに感謝したり 出来事に感謝したり 出会いに感謝したり 食物に感謝している。


あれ?
感謝って何にでも応用できる便利グッズなのか?

こうして感謝道を歩み始める僕であった。


しかし、すぐ壁に直面する。
どこまで感謝すればいいのか問題だ。

例えば、ある人に感謝するとしよう。

〇〇さんありがとう。

でもその〇〇さんを作ったのは周囲の環境だ。
じゃあ〇〇さんを作ってくれた環境にありがとうとなる。
いやいや、そもそも〇〇さんを産んだご両親に感謝するのが筋ってもんだろう。
〇〇さんを産んでくださってありがとう
その親が〇〇さんを産めたのは…と無限に感謝のレールは伸びていく。


突き詰めると初代人類にまで遡るだろう。
最終的には宇宙に感謝するはめになる。
途中で、〇〇さんに感謝している自分にも感謝しだす錯乱状態にも陥る。


はてさて、どうしたもんか。


何にでも感謝のこの時代。
その線引はどうするのか。
だれか教えておくれよ。

感謝するから。
あなたを取り巻く全てに感謝するからさ。

ここまでで何回感謝って言っただろう。
ゲシュタルトが崩壊してきた。
(あれ?この字ってこんなだっけ?と疑心暗鬼になるアレ)


僕を感謝の海で漂流しているところを救ってくれたゲシュタルト崩壊というシステムに感謝。
おや、自然と感謝している。
あぁ僕は感謝からは逃げられないのか。

感謝すると感謝したことに感謝され、はたまた感謝することになる。
感謝ループ。
メビウスの感謝。
感謝中毒。


え?
感謝しなけりゃいい?
あんたは鬼か!
いや、そんな基本的なことを見失ったていた僕に喝を入れてくれた鬼さんありがとう。


今、感謝道初段の技である「ありがとうで許される」を実践したんだけど気がついたかな?
あなたは鬼と罵られたのに、次の行でありがとうと言われた途端、口角が上がっただろう。


これが感謝道だ。


さぁあなたも入会しないか。
決して怪しい道ではない。
感謝するだけだから。

こんな風な口車に乗ってはいけませんよ。


話が逸れてしまったが、とにかく 感謝する対象はどこまでなのか、ということを言いたいのだ。

そもそも感謝道ってなに!



僕はよくnoteで脳みその話をする。
スキだから。
ミステリアスでありながら一番身近な存在。

僕は言う。
脳みそに感謝しなさいよと。

でもこれはおかしい。
脳みその 何に感謝すればいいのか。
所詮は細胞の集まりに過ぎぬピンクの塊。

その複雑な仕組みに感謝するのか?
その細胞ひとつひとつに感謝するのか?
その脳みそという存在に感謝するのか?

もうわけわからん。
脳みそなんとかしてよ。


え?
感謝の気持ちが足りないからそんなところで躓くって?
あんたは鬼かっ!

いやでも、たしかにそうだ。
僕は感謝をただの作業としか認識していなかったのかもしれない。
感情の伴わない感謝をするぐらいなら 無言でいる方がマシだ。
こんな素晴らしいことに気付かせてくれてありがとう鬼さん。


え?
馬鹿にしてるのかって?
あ、いや、感謝してるんですけど。


結論
感謝の押し売りはやめよう。


え?
今までのはなんだったのって?
そりゃあなた ただのエッセイですよ。


noteを毎日投稿していると感覚がマヒしてくる。
だからこうやって支離滅裂な記事を書いて投稿してしまう。
でもこんな意味不明な記事を投稿させてもらえるnoteというプラットフォームに感謝。


ところで感謝の謝ってあやまるって意味だけどなんで?

感情をのせてあやまる?
感激してあやまる?
感動してあやまる?

まぁなんでもいい。
ごめんね、ありがとう
なーんて言うこともある。

謝罪にもお礼にも使えるということか。

万能ツール「感謝」ここに極まれリ。

さぁなんにでも感謝の感謝道をみんなで歩もう。
損はさせないよ。


ではまた。

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