女将ちゃん、ごっつあんです! ~伝説の大横綱、女子高校生に転生す~ 第28話 穢れ祓い 其の六

 全てを捧げる。

 雷電丸のその一言が、妖達を狂喜させた。たちまち周囲から怒号のような大歓声が響き渡る。

 悪神オロチはがさっと手を上げると、ピタリと妖達の怒号が止んだ。しかし、周囲に立ち込めた熱気と獰猛な殺気だけは停留したままだった。妖達から鋭い視線が私達に注がれている。もし協定がなければ、きっと奴らは一斉に私達に襲いかかって来ただろう。

「どうじゃ? この挑戦、受けて立つかの?」雷電丸は顎を撫でながら挑発するように、ニシシと笑う。

 悪神オロチは無表情のまま雷電丸をジッと見つめた後、静かに目を閉じた。

「二度目だな」ぼつり、悪神オロチは呟く。「そのような戯言をオレにほざいたのは貴様で二人目だ」

 すると、悪神オロチの全身からドス黒い瘴気が噴き出す。まるで黒煙でも吹き荒れるかのように周囲の視界が黒く染まった。黒煙の中からバチバチと稲光が走った。

「よかろう! 貴様の口車に乗ってやる。だが、貴様が敗北した暁にはこの街をいただく。命も、肉も、魂まで、その全てをな」悪神オロチはそう言うと、目と口の端を吊り上げながら嗤って見せた。

 悪神オロチが胸の前で組んでいた腕を下ろすのと同時に吹き荒れていた瘴気が消え去った。再び視界はクリアになった。

 そして、再び妖達から怒号の様な大歓声が響き渡った。

「よし! なんとかなったぞい。良き哉、良き哉じゃ」雷電丸は満足気に微笑んだ。

『なんとかなったぞい、じゃない! 雷電丸、あんた、前々から思っていたけれども、あえて言わせて。こんの大馬鹿野郎!!!!』

 私は精神世界で怒声を張り上げた。

 雷電丸は両耳に人差し指を差し込んで、私の怒声が過ぎ去るのを静かに待った。

『百歩譲って私や沼野先輩の命を代償にするのは分かるわ。でも、守るべき街の人達まで巻き込むだなんて何を考えているのよ⁉』

 もし、雷電丸が負けたらその時点で全てが終わる。私達は家族もろとも妖達に捧げられてしまうのだ。

 件の東京喪失事件のように、私達の記憶も存在ごと世界から消えてなくなることになる。

 もしそうなれば、私達に待ち構えているのは地獄。いや、それすら生温い過酷な運命が待ち構えているという話だ。

 敗北の二文字が頭に浮かび、私は背筋が寒くなった。この時になってようやく私は国譲りの儀に対して恐怖心を芽生えさせた。

 一度や二度の敗北で死ぬことはない、と木場先生は言っていた。

 まさか雷電丸のせいでその予定が覆り、私は初場所にして千秋楽を迎えることになるとは想像だにしていないことだった。

 このことをまさに青天の霹靂と言うんだろう、と思った。

「いんや、そうではないぞ。街の者達も当事者じゃ。儂達は彼等の代表者に過ぎん。どの道、ワシが負ければこの街の命運は尽きたも同然。なれば、街の皆にも多少の危険を背負ってもらうまでのことじゃよ」

 その時、怒声が響き渡った。

 見ると、沼野先輩がふらつきながらも立ち上がり、引きつった形相で雷電丸を睨みつけていた。

「高天、今すぐ撤回するんだ! オレの命はどうなっても構わん。だが、街の人達を巻き込むことだけは絶対に許さんぞ⁉」

 沼野先輩にも家族がいる。その家族を思いつき感覚で生贄に捧げられてはたまったものではないだろう。

 それは私も同意だ。何としてでも雷電丸を止めなければならない。

 しかし、雷電丸は沼野先輩を睨みつけると、彼には珍しく苛立ちを露わに怒声を張り上げた。

「錦よ、勘違いをするなよ。この戦はワシ等だけのものではない。この国に住まう全ての人間の戦じゃ!」

 雷電丸の言葉に、沼野先輩は返す言葉を失い歯軋りをする。

「街の奴らを巻き込むなじゃと? それこそ今更じゃわい。甘えたことをほざくな! もうとっくに儂等も、街の奴らも当事者なんじゃよ。国譲りの儀というのは、神々の代理戦争であるのと同時に、儂等人間と妖との生存競争でもあるのじゃ。負ければ全て死ぬ。危険を冒さずして明日を迎えられるなどと思うではない。このド戯けめが!」

 沼野先輩は何も言い返せずに立ち尽くすと、両拳を強く握りしめたまま顔を下に俯かせた。

「それに、未来の横綱の命を救うことこそ、この国の明日を救うことにも繋がる」

 雷電丸は穏やかな口調で呟く。

 沼野先輩は驚いたようにハッと顔を見上げ、雷電丸を見つめる。

「儂は確信したぞ。お前こそ、未来の横綱になる器じゃとな。じゃから、儂はこの選択を間違っているとは思わん! それに、友を救わぬ選択肢など儂にはなかったしの」

 雷電丸は向日葵の様な笑顔を浮かべると、ニカッと沼野先輩に微笑みかけた。

 沼野先輩は驚いた様な表情を浮かべて頬を薄く染めた。だが、すぐにいつもの凛とした顔に戻る。

「当たり前だ。オレがならずして、誰が横綱になれるというんだ? 高天、一回くらいオレに勝ったくらいで偉そうにするな。次の稽古の時には目にもの見せてくれる。だから、とっとと勝って終わらせて来い。そして、皆で一緒にちゃんこを食べに帰ろう。全て、お前に任せたぞ」

 沼野先輩はフッと、安堵の笑みを浮かべると、崩れ落ちる様に地面に座り込んだ。

「おおよ、任せておけ!」雷電丸はそう言って、右腕を上げると親指を立てた。

 雷電丸はそう言うと、悪神オロチに向き直った。

「もう一度確認させてもらおう。この取組に勝った方が全てを得て負けた方が全てを喪う、ということでよいのだな?」ニタリ、と悪神オロチはほくそ笑んだ。

「だからそう言っておる。ごちゃごちゃ言っておらんで、とっととやるぞ。この後にも大勢の相手をしてやらんといかんでの」

 その瞬間、私は驚きのあまり目を点にする。見ると、沼野先輩も同様に目を点にさせ顔を強張らせていた。

「それはどういう意味だ?」悪神オロチは驚いたようにそう訊ねて来る。

 それは私も聞きたい。あまりにも想定外の雷電丸の発言に、その場にいた者達は全員、目を丸めて呆気に取られていた。悪神オロチでさえ返す言葉を見失っているようだった。

「高天、何を言っている? まさか、お前、この場にいる全ての妖とやり合うつもりじゃないよな?」

 沼野先輩は哀願するような目をしながら雷電丸に訊ねた。

「まさかもかかしもないんじゃよ。本当は楽しみは後にとっておくつもりだったんじゃが、もう我慢しきれん。今宵、この土地で行われる国譲りの儀は永久に終わる。何故ならば、ワシがこの土地の穢れを全て浄化してしまうからの」満面に笑みを浮かべながら四股を踏む。

 雷電丸が四股を踏むたびに会場全体が振動する。

「さあ、やろうか? とっととかかって来いや、《《先輩》》!?」

 雷電丸は悪神オロチの傍らで跪いている一角鬼に向かって叫んだ。

「ぬかしよるわ、小娘が」一角鬼は怒りを湛えながら雷電丸に返す。

 すると、悪神オロチの笑い声が響き渡った。子供の様に無邪気で、とても楽し気な笑い声だった。

「面白い奴だ! これほどふざけたことをぬかした奴は初めてだ。よかろう。悪神オロチの名のもとに全てを許す。貴様の好きにせよ」

 悪神オロチは笑いながら両腕を胸の前で組み直すと、身体を宙に浮かせた。そして、そのまま土俵の外まで移動し、静かに地面に降り立った。

「一角鬼。言われずとも分かっておるな? 万が一にも敗北しようものなら、妖頭の地位を剥奪するだけではない。貴様を無間地獄へと落としてやる。心してかかるがいい」

「はは、この一角鬼、オロチ様に不惜身命を貫き、この戦いに勝利することをここに誓いまする」

 一角鬼は悪神オロチに跪き頭を垂れながら言う。

 そして、一角鬼は雷電丸に向き直ると、負けじと四股を踏む。一角鬼が四股を踏むたびに会場全体が激しく揺れた。

「おうおう、多少はマシな四股を踏めるようになったではないか。流石は先輩じゃ。あれから少しは進歩したようじゃの。ま、弱さはそのままのようじゃがな」

「オレを先輩と呼ぶのを止めろ。あの男の姿が思い浮かんで不愉快だ」一角鬼は忌々し気に吐き捨てる。

「クク、ならばその答えは取り組みで教えてやろうではないか。さあ、どんと来い! あの時の様にたっぷりと可愛がってやるでの、先輩」雷電丸はそう言うと、腰を落とし右拳を土俵につけた。

「どうしてオレを先輩などと呼ぶのか。取組の後でじっくりと問い質してやろう。お前の腸はどんな味がするのであろうな?」一角鬼は目を細めると、大きく裂けた口から大量の涎を垂れ流す。

 一角鬼も腰を落とすと、右拳を土俵につけた。

 そして、両者は互いに睨み合い火花を散らし合った。

 はっきよい、のこった! と、私の頭の中で行司の声が響き渡った。

 次の瞬間、鋼の肉体が衝突し合う音が響き渡った。

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