女将ちゃん、ごっつあんです! ~伝説の大横綱、女子高校生に転生す~ 第30話 代理戦争 其の一

「雷電丸とは確か伝説の二代目大横綱SSS級と同じ名前だったような……何故一角鬼がその名を?」

 沼野先輩は唖然としながら静かに呟いた。

 一角鬼が消滅し、周囲は静寂に包まれた。それまで溢れ返っていた妖達の下卑た笑い声も獰猛な唸り声も聞こえて来なかった。彼等の表情は一様に蒼白し強張っていた。目の前で起った出来事に頭が追い付いていない様子だった。

「ごっちゃんです!」雷電丸は蹲踞しながら一礼する。

 雷電丸の勝利宣言が場内に響いても誰も言葉を発することもなく周囲は静寂に包まれたままだった。

「さて、お次は誰かの? 可能ならこんなクソ雑魚ではなく、もっと格上とやり合いたいものじゃが?」雷電丸はそう言うと、周囲を見回す。

「天晴である! 愉快だぞ?」悪神オロチの上機嫌な笑い声が響き渡った。

 悪神オロチは拍手をしながら土俵に上がって来る。

「そうか、貴様の名は雷電丸と申すのか。はて、何処かで聞いた名だな?」悪神オロチはわざとらしく首を傾げると、眉根を寄せながら雷電丸を見た。

 そんな悪神オロチの態度を見て、雷電丸は忌々し気に鼻で笑って見せた。その時、雷電丸は、どうせ分かっているくせに、と小さく呟いた。

「そんなことよりも、約束はちゃんと守ってくれるのじゃろうな?」雷電丸は訝しむように悪神オロチを睨みつけた。

「ああ、もちろんだ。誓約は何よりも尊ぶべきもの。悪神と呼ばれたオレでさえ、誓約を破ることは出来ぬ。晴れて貴様は自由の身だ。それはこのオロチが保証しよう」

 ホッ、どうやら街は守られたみたいね。一時はどうなるかと思ったけれども、まあ、結果オーライよ。

 私は精神世界で安堵の息を洩らした。

「取り組みに乱入した罪は許そう。だが、神聖なる土俵に女が上がった罪は別だ」悪神オロチはそう呟くと、目と口を吊り上げて引きつった笑みを浮かべた。背後からドス黒い瘴気が立ち昇る。

「何じゃと!? それは今更の話ではないのかの!? 鬼門に通行を許可された以上、儂には土俵に上がる資格があるはずじゃ⁉」

 雷電丸は険相を浮かべると身構えた。その表情には珍しく焦燥の色が浮かんでいた。雷電丸にしても、余程予想外の展開だったみたいだ。

「ああ、その通りだ。鬼門に認められた以上、貴様には土俵に上がる権利と資格がある。それは認めよう。ただし、それは雷電丸、貴様のことであって、その中にいる者は例外だ」

 悪神オロチは呟き、不気味にほくそ笑む。

 雷電丸は驚愕に目を見開き、忌々し気に舌打ちをする。

「貴様、気付いておったか⁉」

 次の瞬間、悪神オロチの背後から無数の黒蛇が現れる。黒蛇はたちまち雷電丸の全身に絡みつき動きを封じた。

 雷電丸は必死にもがくも、全身に絡みついた黒蛇はまるで鉄の鎖のように頑丈で雷電丸の怪力をもってしても引き剥がすことは出来なかった。

「流石に伝説の大横綱雷電丸といえども、神罰に抗うことは出来ぬか」悪神オロチは当然のようにそう言うと雷電丸の目の前まで歩いて来る。

 不意に、私と悪神オロチの目線が交わった。その時、悪神オロチは精神世界にいるはずの私を見て、にやり、とほくそ笑んだ。

「やはりそこにいるな」悪神オロチの鋭い眼光が私に突き刺さる。

 全身が凍り付いたかのような錯覚を味わった。心の奥底から湧き上がるもの。それは恐怖すら超越した確実な死のイメージだった。 

「止めろ! 殺るなら儂にせい。双葉には手を出すな!?」

『ら、雷電丸!?』

 私は恐怖に凍てつき叫んだ。逃げようとするも、精神世界にいる以上それもかなわない。

 次の瞬間、悪神オロチの手刀が雷電丸の心臓を貫いた。しかし、出血は無い。今、悪神オロチが貫いたのは雷電丸の心臓ではない。私の魂を貫き捕らえたのだ。

『きゃあああああああ⁉』私は心臓を鷲掴みされたような激痛を味わい叫んでいた。

「捕まえたぞ。くく、珍しや。よもや一つの肉体に二つの魂が存在しているとはな。しかも、この魂は正真正銘、女のものだ」

 悪神オロチは呟き、勢いよく雷電丸の胸から手刀を抜き出した。その時、彼の手に握られていたのは私の魂。

 私の魂は霊体となって現世に現れ、悪神オロチに首を掴まれた状態で宙に浮いていた。肉体は無いはずなのに息苦しさと痛みが私を襲った。

「双葉!」雷電丸の悲痛な叫びが響き渡った。

「高天が二人!? 何がどうなっているんだ⁉」

 沼野先輩の困惑に満ちた声が響いて来る。

 そうか、今の私は元の姿のまま現実世界に存在しているんだ。私は悪神オロチの手から逃れようと必死にもがくが、私の非力な力では彼の手は微動だにしなかった。

「さて、雷電丸。貴様とは色々と因縁があるが、今日はもう帰ってよいぞ。これ以上戦わなくとも約束通りこの街は解放してやる。この地で国譲りの儀が行われることは二度とない。良かったな。人類初めての勝利を帰って喜ぶがいい」悪神オロチはそう吐き捨てると、私と目線を合わせた。

 悪神オロチがパチンと指を鳴らすと、雷電丸を拘束していた黒蛇は一瞬で消え去った。

「待て! 儂はどうなってもよい。双葉だけは勘弁してくれ。ほれ、この通りじゃ!」

 雷電丸はそう言うと、膝をつき勢いよく土俵に額を押し付けた。土下座の格好で悪神オロチに哀願していた。

「掟は掟だ。この女の魂は消し去らねばならん。しかし、雷電丸よ、妙なことを申すな。この女の名が双葉だと? それは貴様の本来の名ではないか」

 その瞬間、私は唖然となった。悪神オロチの言っている意味が分からなかったのだ。

『雷電丸の本来の名前が私と同じ双葉ですって? 貴方、何を言っているの?』

 私は訳が分からず、救いを求める様に雷電丸に視線を移した。

 すると、そこで垣間見たのは苦し気な表情を浮かべる雷電丸の姿だった。彼は正座した状態で悔しそうに歯噛みしワナワナと身体を震わせていた。

「何だ、女。お前、自分が何者なのか知らなかったのか? オレには魂の色が見える。オレの目には雷電丸とお前の魂の色が同じに見えるのだぞ?」

『それはどういう意味!? 訳の分からないことを言わないで!?』私は悪神オロチを睨みつけると思わず怒声を張り上げていた。虚勢を張っているものの、心は動揺に塗れていた。

「ならば教えてやろう。見たところお前は……」

「それ以上は止めるんじゃ!」

 雷電丸は叫び、悪神オロチに殴りかかった。雷電丸の拳が悪神オロチに炸裂したと思われた瞬間、雷電丸は見えない壁に弾かれて後ろに吹き飛ばされる。

「雷電丸の双子の妹の魂だ。くく、あ奴も悪趣味な奴だな。よもや実の妹の魂を己の肉体に住まわせるなど、正気の沙汰とも思えん。このオレですらドン引きする程にな」

 悪神オロチは呟き、嘲るような高笑いを上げた。

「嘘……」

 私は呆然と呟き、雷電丸を凝視する。

 え? つまり、今まで自分のものだと思っていた身体が、実は雷電丸のものだったってこと?

 え? それじゃあ、雷電丸の本当の名前が双葉なら、私は誰なの?

 え? 私が雷電丸の双子の妹? なら、私の本当の身体は何処にあるの?

 え? なら、私の名前はなんていうの……?????

「雷電丸……今まで私を騙していたの?」私の頬を涙が伝う。

「違う! そうじゃないんじゃ!?」雷電丸の悲痛な声が響いて来る。

「何が違うの⁉ なら説明してみなさい。私は誰? 誰なの⁉」

「そ、それは……」雷電丸は顔を俯かせると黙りこくった。

 否定しないのね? 私は一縷の希望すら失い、全身から力が抜け落ちた。

 私の脳裏に、雷電丸が蘇ってからここ数日間の記憶が過った。

 学校でいじめられ、絶望している私の前に現れた雷電丸。

 私を虐めていた静川のぞみさんと和解し、友達になったこと。

 相撲部に乱入して、道場破りまがいのことをしでかした挙句、女将になる宣言をしたこと。

 ダイエットをしているのに爆食いをする雷電丸に絶叫したこと。

 静川さんをリンチしていたグループをコテンパンにして、その裏にいた市議さんを木場先生にやっつけてもらったこと。

 そして、国譲りの儀とかいう争いに巻き込まれてしまったこと。

 雷電丸。私、白状するね。あの時、事あるごとに止めてちょうだいって騒いでいたけれども、実は私、とっても楽しかったんだよ? 心がウキウキしていてどうしようもなかった。

 でも、やっぱり気付いちゃったんだ。この幸せな日々の記憶は私のものじゃないって。全部雷電丸のものなんだって。

 もう疲れた。もう死にたい。やっぱり私なんか生きていても仕方がなかったんだ。まさか、名前もなく、自分が本当は存在していなかっただなんて、そこまでは思いもしなかったわ。

「雷電丸よ。この女を助けたいか?」ぼそり、悪神オロチが呟いた。

「何じゃ!? 双葉を助けられるなら儂は何でもするぞ⁉」

「ならオレと戦え」

「それは無理な話じゃな。国譲りの儀は神々の代理戦争。神自身が戦いに参加すれば、神々の全面戦争に発展してしまう。それは貴様とて承知じゃろうて」

「だから、代理を立ててやり合おうと言っているのだ」

「代理……じゃと? それは誰じゃ?」

 悪神オロチは指をパチンと鳴らす。すると、彼の身体から無数の黒蛇が現れ、周囲にいた妖達に襲いかかった。黒蛇に食いつかれた妖達の悲鳴と絶叫が木霊する。黒蛇に襲われた妖達は次々と干からび、消滅していった。

「何のつもりじゃ⁉」

「器を作っている。少し黙っていろ」

 そして、全ての妖達が消滅すると、周囲に散っていた黒蛇達は一か所に集まり合体する。

 私は、それを見て驚愕に顔を強張らせた。

 黒蛇達が合体して現れたもの。それは私と瓜二つの人間の姿をした肉の塊だった。

「女よ。機会をくれてやろう。その肉塊に魂を移し、雷電丸と殺し合え。もしお前が勝てば名も、身体も、全てを手に入れられるぞ?」にたり、と悪神オロチはほくそ笑む。

 それはまさしく悪魔の囁きだった。

 私が雷電丸と殺し合う、ですって? そんなこと、出来ないわ。だって、彼は私の大切な……。

 なんだったっけ?

 その瞬間、私の魂は悪神オロチの創り出した肉塊に吸い込まれるのだった。

「双葉あああああああああ!?」

 雷電丸の絶叫が木霊する。
 
 双葉は貴方の本当の名前でしょう? 私は吐き捨てるように呟いた。

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